今回も報告作成までに時間がかかってしまいました。
なぜか・・・?
正直に言うと今回のカフェペディアで自分の中に生まれたアイデアをうまく言葉に表現できなかったからです。
カフェペディアの夜に生まれたぼんやりとしたアイデアをしっかりとつかむためにいろいろ本を読みました。開催前にもいろいろと量子力学関連の本を読んでみましたが、???の部分が多く、その部分は放っていました。しかし、今回のカフェペディア開催後にぼんやりとつかめたイメージで改めて本を読むと???の部分が少し解消されました。(その分新たな???が生まれたのですが…。)
そういうことですので今回の報告書では、カフェペディアでの話とその後に読んだ本で出会った内容が混在していると思いますがご了承ください。また、理解し間違えている部分もあろうかと思います。その際にはコメントにてご指摘修正していただけるとありがたいです。
前置きが長くなってしまいました。
今回の量子の世界の話、最初は原子や電子よりも小さな世界のことだと言う程度の認識しかありませんでした。事前に岡本さんの研究室でお話させていただいた際の私のこのような理解状況を察していただき、カフェペディアでは日常生活の視点では全くイメージできない世界、そういう世界を捉えるため頭のウォーミングアップの話からスタートしました。
金子みすずの詩「大漁」です。
朝やけ小やけだ
大漁だ
大羽いわしの
大漁だ
浜は祭のようだけど
海の中では
何万の
いわしのとむらい
するだろう
人間中心の視点を変えることで気づく世界です。
なぜ、量子力学にこの詩が・・・?この時にはよくわかっていませんでした。
量子力学の世界を知るには
「知力によってのみ認識しうる、機器で検出される実在への頭の切り替えが必要」
だというのです。
話はいよいよ物理的な世界への入り口です。頭の中がぐっと縮こまります。「数式で表される理論、そのもととなる実験結果による理論との一致。それにより厳密さ、普遍性、客観性が保証される。」
物理学の世界を表現する言葉は数式だということでしょうか?
理論を立てて、それを実験し、その結果が理論と一致すればそれは普遍なのだろうか?
「それって非常に確率の高い”星占い”と変わらない論理じゃないのーっ」と否定したくなる自分がいます。
でも一方で、この様々な数式であらわされる理論を応用してできた技術を利用している自分もいて、「その技術が”星占い”と同様のものであるはずがない!」と思うのを否定する自分もいます。
うーん、どちらかというと生物分野肌な自分は自身を持って普遍性、客観性があると言い切れません。
「光は粒であり波である」
光は伝わっていくときは”波”のような性質を持っていて、何か物質に作用するときは”粒”として振舞うのだそうです。さらにそれは”光”だけでなく量子的粒子すべてに当てはまるようなんです。
”粒”=”モノ”、”波”=”コト”です。
どう違うのか?なんとなく分かるような分からないような・・・。
「分からないのをそのままにしておくとさらにわからなくなる!」と思った会場の参加者からは、なんとかこの部分を理解しようと質問が繰り返されます。
その質問に岡本さんも身振り手振りを交え、いろいろな例えを用いて説明してくださいました。

「”波”とは”コト”が移動するのであって、”モノ”が移動するのではない。」
海の波間に浮かぶゴミは波と同時に移動はしない!
少しわかったような気がします。
さらに、
「同種の量子的粒子は互いに区別できない」
つまり、原子や電子はすべて全く同じものであるだということです。日本の水素原子も南極の水素原子も同じです。地球の水素原子も太陽の水素原子も同じです。
うーん納得・・・いや待てよ、ということは…同じものなら区別がつかないから、観測のやりようがないじゃないか?動物行動学でも個体識別は不可欠じゃないかと思うのは素人の浅い認識でしょうか・・・。
さらにさらに
「電子が動くということは”波”が伝わっていくということで電子の”粒”そのものが動くことではない」
つまり、電光掲示板に敷き詰められた同じランプが順序良く点滅することで文字が流れていくように見えるのと同じようなイメージです。
はっ!福岡伸一さんの「動的平衡」に書かれていた内容を思い出しました。私たちは個体としては変化がないように見えますが、我々の体を構成する分子、原子は常に入れ替わっています。同じモノではないけど同じような状態には維持されています。我々は動的平衡状態にあるということです。
これとイメージがだぶりました。
「ということは、生物、すなわち我々の存在も量子的に見れば「波」ではないか!」
と、イメージしちゃうと、波動水とか波動壺なんていう怪しいものがそれらしく聞こえてしまいますが、こういうのって量子力学の理論をそれっぽく取り込んで説得力を膨らませているのかなーなんてことも思いました。怪しい世界も最先端科学をとりこんでいるんだなーと変な部分に関心してしまいました。
もう一つふっと思い浮かんだのは、
わたくしといふ現象は
假定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといっしょに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち、その電燈は失はれ)
という文章です。
宮沢賢治です。
中学か高校の教科書で出会った文章のような気がしますが、その当時は全くイメージが伝わりませんでした。というか、なんじゃらほいというのが正直なイメージでした。
今はこの文章は量子力学的な世界観のような気がします。
調べてみるとこの文章は詩集「春と修羅」の序文でこの文章の続きもさらにいろいろなイメージが湧いてきます。学生時代はチンプンカンプンだったのですが…。
うーんどうも、考えの飛躍ばかりで本題の量子の世界のことはどうもすっきり理解できていそうにありません。岡本さんが紹介してくれた「量子力学を分かったという人は量子力学を理解していない人だ」というファインマンの言葉すらなぐさめにならないほどです。

なぜこうも量子の世界がすっきりと理解できないのか?
ぼんやりとこんなことをイメージしてみました。
「今から約46億年前に地球ができ、約38億年前に生命が誕生しました。あと数十億年後に地球は太陽に飲み込まれます。」
なんとなく「そうなんだー」と思うけどもイメージがわきません。
なんでだろう…?
時間スケールが人間サイズじゃない!
本川達雄さんの「ゾウの時間、ネズミの時間」という本で読んだ内容を思い出しました。
「時間は唯一絶対不変のものではない、動物には動物のサイズによって変わるそれぞれの時計があり、われわれの時計では、ほかの動物の時間を単純には測れないのである。・・・感覚が発達していない事象に関しては、たとえ外界に存在していても、ヒトの頭の中の世界には存在しない。・・・頭の中の時間軸は、自分に固有の時間軸だけしかないのであろう。時間に関しては、ヒトは外部に閉ざされた存在だと言えるのではないか。」
自分の中の感覚だけで理解しようとするから、量子の世界がすっきり理解できないんだ。
と思うと、最初に岡本さんがなぜ金子みすずの詩「大漁」を紹介したのか、ようやくわかりました。
人間中心の視点を変えること、これは量子の世界を”見る”ことにも当てはまるんだと気づきました。
こうしている今も私たちは目に飛び込む光子でこの世界を見て、原子を食べ、原子を取り込み、電子の波の中にいます。量子の世界に生きているんだなーと私の中の閉ざされた感覚の世界が少し広がったような気がしました。

語りの時間終了後もいろいろな面白い実験(?)を披露していただき、疲れた参加者の脳をリフレッシュしていただきました。
まだまだ今回購入した量子力学関連の本を読み果せていません。じっくり読解していきたいと思っています。理解が詰まった時には岡本さん、アドバイスよろしくお願いします。
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