Cafepedia(カフェぺディア)とはcafe+encyclopedia(百科事典)を合成したもので、「百科の学術」つまり生物や物理、文化や社会、芸術や音楽…etc様々な「科学」をキーワードに、様々な方々を語り手に迎え、知的好奇心をくすぐる様々な話題をつまみにして、おしゃれなカフェで飲み物を片手に楽しい時間をすごそうという企画です。

カフェに参加している人だけでなく、その場に居合わせたお店のお客さん全員が、「科学」の話をBGMにお酒を楽しめるような雰囲気を生み出す。科学夜話”Cafepedia(カフェペディア)”はそんな粋な空間を目指しています。

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2011年7月7日木曜日

報告書 第三十八夜「自分を知ること、相手を理解すること~心理アセスメント入門~」

3月22日に開催した第三十八夜の報告書です。
福岡県立大学人間社会学部人間形成学科の吉岡和子さんを語り手に迎え、開催しました。

「心理学」分野でのカフェペディア開催は今回で2度目となります。前回は2009年12月、第二十三夜「知の巨人、ベイトソンからはじめる臨床心理学超入門!」をタイトルに九州工業大学保健センターの菊池悌一郎さんを語り手に迎えて開催しました。今回は、再度、心理学をテーマにカフェペディアを開催したいと菊池さんに連絡させていただいたところ、吉岡さんを紹介していただき、今回のカフェペディアの開催となりました。語り手から語り手の紹介をしていただく・・・某お昼の番組の某コーナーようです。

語りの時間、スタートです。

「心理学を専門にしている人は他人の性格がすぐにわかると思われがちですが、他人の性格はすぐにはわかりません。」

世間一般の心理学の専門家に対するイメージを最初から否定していただきました。確かにそうです。他人どころか自分の性格ですらよくわからなくなります。だからこそ世間一般では心理学に過度な幻想を抱いてしまうのかもしれません。

続けて、ぼそっと吉岡さんが言いました。
「すぐにわからないことを知っているというのが専門家なのかな・・・。」

専門家の口からでるこの言葉は深いです。
“無知の知”は専門家が語るからこそ重みのある言葉なのですね。素人が“無知の知”を語ったところで知らないことの言い訳にしか聞こえません。


吉岡さんがぼそっと言う言葉、その後の語りでも度々あるのですが、これが非常にしみるのであります。

さらに続けて
「他人の性格はすぐにはわかりません。カウンセラーはまず自分を知ることからはじめます。」

“汝自身を知れ“という言葉を思い出しました。
私としては、この言葉をかみ締めるだけで今回のカフェペディアは満腹のような気がします。

いえいえ、今回のカフェペディアはまだまだ始まったばかりです。

さて、これまで私は“心理学”と“臨床心理学”ごちゃまぜに言葉を使っておりましたが、そもそも心理学と臨床心理学はどう違うのでしょうか?

心理学は大きく分けて基礎心理学と応用心理学に分けられます。
基礎心理学では実験などを通じて、心理を科学的に捉え、一般法則を導き出していきます。一方、応用心理学は基礎心理学をベースに実際の問題や人を支援していきます。臨床心理学はその応用心理学の一部門だということです。

前回の語り手の西田さんにうかがった物理学が基礎物理学と応用物理学にわかれているという話を思い出しました。どの分野も基礎と応用に分かれているのですね。

臨床心理学を基盤に実際の現場に当る専門化は臨床心理士と呼ばれますが、これは国家資格にはなっていないそうです。なぜならば国家資格となると臨床心理士と一つの分野にまとめることになりますが、応用心理学の分野は幅広いためその調整がなかなかうまくいっていないそうです。

臨床心理士の領域は、スクールカウンセラーなどの教育分野から医療、保健、福祉、労働、産業など様々な分野にわたります。吉岡さん現在は大学の研究者ですが、過去そして現在もいろいろな分野での臨床心理士としての活動を行っているそうです。

実際の現場ではどのようにして臨床心理士は治療(?)を行っていくのか?

まずは臨床心理面接を行い臨床心理士とクライエントの関係性を築いていきます。クライエントには言葉にして癒される人、そうでない人もいます。それに合わせて、精神分析、夢分析、遊戯療法、クライエント中心療法、行動療法、箱庭療法などクライエントにアプローチする方法もいろいろあります。臨床心理士は臨床心理面接を通じて、クライエントにどのような方法があっているのかを確認していきます。

心理療法にはいろいろな方法がありますが、臨床心理士はその全てを網羅しているのでしょうか?もちろん臨床心理士の人はそれぞれの方法を知識的に知っています。しかし、それぞれの臨床心理士に得意分野があり、アプローチの仕方も異なっているとのことです。

会場の菊池さんからも
「落語における上方落語と江戸落語の違いや流派みたいなものです。学ぶ師匠の違いにもよるかなー。」
とコメントがありました。
さらに
「ようは芸風の違いです。」
芸風ですか・・・。なんとなくイメージできました。


臨床心理面接後は、その人らしさを理解しようとする手がかりを得るために臨床心理査定を行います。査定ですが、その人を評価するのではなく、どう支援していくかを探っていくために行うものです。

心理査定は心理アセスメントとも呼びますが、その手法もさまざまです。
知能検査、人格検査、質問紙法、作業検査法、、投影法など様々な手法があり、これらを組み合わせて心理査定を行っていくのだそうです。

吉岡さんはこの中の投影法、ロールシャッハ法について研究をされていました。

ロールシャッハ法はロールシャッハが考案作成した10枚のカードです。
吉岡さん、ロールシャッハの写真を示し、一言。
「第一印象は、かっこいい人だなー。ブラッドピットに似ているなー」
だそうです。


確かにそうかも・・・。

ロールシャッハ法とは10枚のカードに描かれた左右対称の模様が何に見えるかを語ってもらい、その見方からその人のパーソナリティーを探っていきます。10枚のカードはデザイン、示す順番も決まっているそうです。

どのようなカードか見てみたい!と思ったのですが、ロールシャッハ法のカードは刺激が強いので一般の場には出さないようにされているそうです。刺激が強いというとさらに興味がわいてしまうのですが、すごく不快に感じてしまうこともあるそうです。

ロールシャッハ法のカードは示されませんでしたが、スイスのロールシャッハ博物館で売られていたポストカードを見せていただきました。


「何に見えるか?」の問いに会場からは
ネコ、カエル、ヘチマ・・・
などの答えが出ました。

一枚の絵を見て、形で見る人、色で見る人、動きを見る人、ぞれぞれです。10人の人が見れば10人の人の反応の仕方があります。そこにその人が困ったときの対処の仕方やコミュニケーションのあり方が現れるのだそうです。

会場から質問です。
「知り合いの臨床心理士にロールシャッハテストをしてくれと頼んだのだけれども、断られた。知り合いにはできないのでしょうか?」とのこと。

友人や身近な人にロールシャッハテストをするとお互いに自分を出しすぎてしまい、その後互いの関係を保ちにくくなってしまうそうです。

質問された方も知り合いの方にそのようなことを言われ、断られたそうです。

自分の知らない自分を互いに知ってしまうことで関係を保ちにくくなる。
人を知るにはまず自分を知らなければならない。これは最初に吉岡さんが語った言葉です。
自分自身を知らない状態で他人の知らない他人自身を知ってしまうと他人を受け入れることができなくなってしまうのかもしれません。

人同士の関係は自分自身の全てをさらけ出すということではなく、他者を受け入れる態勢をどう自分自身の中に作り上げていくかということの繰り返しのような気がします。そのためには自分自身を知らなければならないというのも納得できます。

話はアサーションに移ります。
アサーションとは自他尊重の自己表現です。
「言うべきことを言う」のもアサーションですが、「言えるけれどもあえて言わないのも」アサーションです。

語りを聞いている時には気づきませんでしたが、こうやって報告書を書いているとロールシャッハ法からの話とアサーションが私の中で一連の流れとしてつながります。

カフェペディア開催前の打合せで吉岡さんとお話させていただいた際に、「心理学は特別なものではなくもっと多くの人が知るべき学問ではないか」という問いをさせていただきました。


最後に吉岡さんの体験を踏まえて、心理学は日常生活でどう役立っているのかなーというところを語っていただきました。

「人は自分自身の物事の捉え方の特徴を知っていることによって相手を客観的に理解することが出来る。」

「人は自分自身の感情や感じを手がかりに相手の理解を深め理解したことを基に傾聴したり、共感したり、提案したりすることができる。」

「人は自分の特徴を理解することによって自分をうまくコントロールできるようになる。」

例えば、「あの人いやだなー」と思ったとき、ユングの“シャドウ”という概念を知っていれば、実が自分自身のいやな部分を見ているのだと考えることが出来ます。

人が疲れているように見えているとき、“投影“という概念を知っていれば、自分が疲れているのを他者に見ているのではと考えることができます。

「臨床心理を学んで、自分自身は生活しやすくなっているかなー」
と、吉岡さんはまたぼそっと言われました。

続けて、
「心理学に触れなくても小説でも映画でも何でも自分を知る手がかりになりますよ。それがたまたま自分は臨床心理だったのかなー。」
と、

何の為に勉強をするのか、何の為に映画を観るのか、何の為に小説を読むのか、何の為に絵を描くのか・・・。

それ自分自身の姿を鏡に映して見るように、自分が生きているこの環境に自分を投影させ、はたまた過去に生きた人々の営みや思索に自分自身を投影させることで、自分を知ろうとしているのだと思います。

私はカフェペディアを通じていろいろな分野の方々に出会い、お話をうかがってきました。それぞれが学問的には全く異なる分野ですが、その時々の自分の抱えている問題や興味関心があることに結びつけて解釈してきたように思います。私は科学夜話カフェペディアを通じて、自分を知ろうとしているのかもしれません。


吉岡さんの語りは常に会場の参加者の様子を確かめながら、そして吉岡さん自身も語りをかみ締めながら進んでいきました。

語りの時間終了後も参加者とじっくりと話をされていました。


後でその参加者からは「話を聞いてもらって、なんだか楽になったー。」との言葉をいただきました。

私のつたない文章による報告書では、吉岡さんのかもし出す雰囲気はなかなか伝わりそうにありませんが、この参加者の言葉が全てを語っているように思います。

今回は吉岡さんを紹介してくださった菊池さんも会場に遊びにきていただいており、アフターカフェペディアの時間には菊池さんによる“臨床心理学は落語である説“の展開などいろいろな話で盛り上がりました。

科学夜話カフェペディア、続けるほどにつながっていく場だなーっと思った夜でした。

2011年7月5日火曜日

報告書 第三十七夜「不思議な現象、超伝導。そのヒミツに迫る!!」

2月23日に開催した第三十七夜の報告書です。
福岡大学理学部物理科学科超伝導物性教授の西田昭彦さんを語り手に迎え、開催しました。

西田さんとは昨年末に福岡大学で行われた福岡県の科学コミュニケーションネットワークSAFnetの立ち上げ式の打ち上げで同じテーブルになり、名刺交換させていただきました。その後、私世話人の突然のメールでの依頼にも関わらず、快く語り手を引き受けていただいたことで、今回のカフェペディアが実現しました。

話のスタートは2027年の開業に向けた整備計画が発表されたばかりのリニア新幹線からです。

リニアモーターカー、日本語で言うと磁気浮上式軌道で、その名の通り磁力で浮き上がり、さらに磁力で推進します。その為には強力な磁力が必要なため、列車内に超伝導電磁石が設置されています。

普通の磁石じゃだめなのかという疑問がわいてきます。通常の磁石、電磁石は電流を流して磁力を発生させるのですが、強い磁力を発生させるには強い電流を流す必要がありますが、電流が強くなればなるほど熱を発生してしまいます。そのため常伝導体による電磁石では1万ガウス、ピップエレキバンの10倍くらい磁力が限界だそうです。一方、超伝導磁石では電気抵抗がなくなるので、強い電流を流しても熱は発生せず、10万ガウスまで磁力を高めることができます。ピップエレキバンの100倍の磁力です!(ピップエレキバンという単位がピンとくるようなこないような・・・)。

上海には既にリニア鉄道が営業しているのですが、これは常伝導磁石で1㎝しか浮かないそうです。それに対して超伝導磁石であれば10㎝は浮くそうで、地震国の日本では1㎝浮上では安全性に問題があり、超伝導磁石を使ったリニア鉄道になります。

強力な磁力を発生できるほかにも超伝導磁石の優れた点は起動時に電流を流し電磁石にしてしまえば、電気抵抗がゼロなのでその後電流を流す必要はないそうです。厳密に言うと超伝導体を冷やす為のエネルギーは必要だけれども、浮いている状態を維持するためのエネルギーは必要ないのです。

リニア新幹線はまだ先の話ですが、実は身近なところで既に超伝導磁石は使用されていて、私はまだ未経験ですが、医療機関で利用されている体の内部を輪切りして見ることができる核磁気共鳴画像法、MRIです!このMRI、トンネルのような装置に入って画像撮影するのですが、このトンネルの周りに液体ヘリウムに満たされた超伝導磁石が組み込まれているのです。超伝導磁石って身近な技術だったのですね。

ここまでの話はイントロダクションだったのですが、話題のリニア新幹線やお世話になったことのある人も多いMRIから話がはじまったためか、スタートから会場から質問がいろいろと飛び交いました。

話はいよいよ超伝導という現象の不思議に迫っていきます。

「超伝導の不思議とは電気抵抗=0と内部磁場= 0二つのゼロです。」

電気抵抗=0はイントロダクションで話題になりましたが、まずはその発見に至るまでの話からです。
電気抵抗とは、電子が金属原子と衝突することで発生します。金属原子は熱エネルギーによる振動し、電子が流れていくのを妨げてしまいます。それでは金属原子の温度を全ての運動が止まる絶対零度-273℃まで下げていくとどうなるのか?という疑問が生じます。絶対温度の概念を導き、その名が温度の単位Kにもなった、ケルビン卿は「絶対零度になると電子も運動を止めるから、抵抗は高くなるなずだ」と考えました。一方、魔法瓶を発明した(魔法瓶発明がメインではありませんが)デュワーさんは「抵抗が無くなる」と予想しました。さて、ケルビンとデュワー、どちらの予想が正しかったのか・・・。

ヘリウムを液化することが可能になり、1911年、液化ヘリウムを使って行われた実験で超伝導状態が発見されました。今年、2011年は超伝導100周年ということで、世界中で様々なイベントが行われているそうです。

西田さん曰く、「今回のカフェペディアもその一つです」。

・・・本当は偶然です。昨年2010年の素数をテーマに開催した第三十五夜のカフェペディア時もカシミール生誕10周年という記念すべき年でした。閃くままに3年前の2月22日にネコの日だからということで、ノラネコをテーマに第1回カフェペディアを開催し、それ以降もいろいろな場で出会った方々に語り手をお願いしてきました。カフェペディアが続けてこれたのには、いろいろな偶然が積み重なったということも要因としてありそうです。こういうことをセレンディピティと言うのでしょうか。このセレンディピティという言葉も第三十三夜のカフェペディアで私は初めて出会いました。

そう思っていると、なんと超伝導の発見もセレンディピティだそうです。温度を下げながら電気抵抗を測定する実験を行っていたところ、装置の不具合で温度が上がったり下がったりしていて、その温度の変化に合わせて電気抵抗がゼロになる状態が発生したり、しなかったりしたそうです。そこで、意図的に温度を上げてたり、下げたりしてみたら、超伝導状態が確認できたということです。さらなる偶然は測定を行っていた水銀の転移温度が冷やす為に使用していた液体ヘリウムの温度と同じだったということです。違う金属を使用していたら、超伝導現象は発見できなかったかもしれません。

転移温度という言葉がでてきましたが、「超伝導は相転移現象」とも言えます。
相転移の定義は「温度、圧力、磁場などによって物質の状態が不連続に一斉に変化すること」となります。
イメージしやすい相転移現象は水が100℃で水蒸気になり、0℃で氷になるというものです。

物質の状態というと気体、液体、固体の3状態しかイメージにありませんでしたが、まだまだ我々の知らない未知の状態があるということになります。さらに想像が膨らんで、宇宙空間の温度は-270.42
℃であるということを聞いた事があります。となると宇宙空間では超伝導状態が普通の状態だということになりますよね。むしろ地球上での状態の方が特殊というか・・・。

となると我々の理解する物理科学というものは特殊な地球限定物理科学となるのでしょうか?
物理科学の究極目標は全て現象を一つの理論で表すといことであると聞いた事があります。未知の条件がある中でそれは本当に可能なのだろうか・・・などと素人考えですが思ってしまいます。

さて、電気抵抗がゼロになる仕組みは、電子がクーパーペアにを組むことで抵抗がゼロになる・・・。理解が及びませんでした。今後、勉強します。
気を取り直して、もう一つのゼロ、磁場ゼロの話です。

これはカフェペディア開催前に西田さんの研究室にお邪魔した際に見せていただいた実験です。開催のお知らせ時に掲載した写真で紹介した。超伝導状態にある超伝導体の上で磁石が浮いているやつです。

よくよく考えると小学生のころ、磁石をN極同士、S局同士で向かいあわせて、浮かせて遊んでいました。ただし、このときには磁石が動かないように支えておく必要がありました。しかし、超伝導体の上に浮いている磁石は何の支えも無く、浮いています。しかも磁石のN極S極の向きを変えても浮きます。なぜ浮いているのか?よくよく考えると不思議です。

これは超伝導体が完全反磁性体であるマイスナー効果によるものなのです。と言ってもピンときませんが、磁石から出る磁力線を超伝導体がはじくことで磁石が浮いているということです。しかもただはじくだけでは、一点にとどまることはできませんが、超伝導体内に不純物が混じることで、その部分にだけ磁力線が通り、それに固定されることで、安定して一点に浮くことになります。これを“ピン止め効果”と言います。純粋な超伝導体だとこの“ピン止め効果“は生じません。不純物が混じった超伝導体でないと“ピン止め効果“は起こらないのです。超伝導磁石をつくるにはこの不純物の混じった超伝導体、第二種超伝導体が用いられるそうで、この”ピン止め効果”がないと超伝導磁石はできないそうです。なぜできないか・・・。理解不足です。勉強します。


さてさて、超伝導体になるのは液体ヘリウムで実現される-269℃という超低温が必要なのですが、1986年に液体窒素による-196℃でも超伝導体になる物質が発見されました。この発見にも、偶然、セレンディピティが作用しました。超伝導体を作る際には物質の構造を検討し、設計(!)を行うそうなのですが、発見時には1:1:3の物質を作ろうとしたのですが2:1:4の物質ができてしまい、この物質を調べてみるとなんと液体窒素で超伝導現象が発生したのです!これが高温超伝導の発見となりました。


さて高温と言っても-196℃です。十分に低温のような気がするのですが、液体ヘリウムを使用する-269℃と液体窒素による-196℃では冷却費用がケタ違いだそうです。液体ヘリウムは1Lあたり2,000円でお酒なみの価格ですが、液体窒素であれば1Lあたり50円程度です。なぜこんなに価格が違うかというと大気中は8割が窒素ですが、ヘリウムは大気中には0.0005%しか含まれていません。高価な理由がわかります。実際は液体ヘリウムは大気中のヘリウムではなく液化天然ガスから精製するそうです。

高温超伝導体の発見でMRIなどの実用分野での低温超伝導体は全て高温伝導体に置き換わるかと思いきや、実は高温伝導体にも問題があって、高温伝導体は焼き物なので硬くてもろく、加工したり曲げたりが困難なのだそうです。なかなか上手くいかないものです。

超伝導体の実用ということで、前述のリニア鉄道や磁石以外にもいろいろと紹介していただきました。その一つが超伝導ケーブルです。超伝導体は電気抵抗がゼロですから電気を送電する際のロスが全くありません。そこでこのケーブルを全地球規模で張り巡らせれば、自然エネルギーによる発電が効率的に行えるのです!太陽光や風力などの自然エネルギーは場所により多寡があります。自然エネルギーが豊富な場所で発電しても使用する場所に送電する際に送電ロスで電流が失われては効率が悪くなってしまいます。そこで超伝導ケ-ブルを使用すれば、太陽光発電ならば昼夜、季節変化を平均化できるし…。その前に国を越えるという難問がありそうです。

いろいろと超伝導の不思議の話を伺いましたが、百聞は一見にしかずということで、実際に実験してみようということになりました。


一斉に参加者のみなさんの目が輝いてきました。
実験テーブル前にみんな集合です。

液体窒素を流し込みます。

「おーっ」

十分に冷えた超伝導体にいよいよ磁石を浮かべます。
「マイスナー状態になっています」


「おーっ」

みなさん一斉にカメラ片手にパシャパシャと撮影会がはじまりました(笑)。

「磁石のNとSをひっくり返しても・・・、浮きます。」

「おーっ」

西田さん、さらに大きな磁石を浮かす為に大きな超伝導体を取り出しました。

「おーっ」

この大きな超伝導体に浮かべる、磁石には地球儀が取り付けられています。これが浮かんで、さらに地球の磁石が回りだすと・・・。


拍手が起きました!

またもや撮影会のはじまりです。今度は動画撮影されているかたも・・・。
(youtubeにそのときの動画がアップされていました。コチラです。)

目の前で超伝導現象を見て、みなさんさらに関心が高まり、

「ふかふか浮かぶ超伝導ベットがほしい」
「落ちたら液体窒素で危ないよ」
「でも、夏は涼しいかもね」

などなど、会場のあちこちで超伝導雑談が沸き起こっていました。

今回のカフェペディアでは貴重な超伝導実験を目の前で見ることができ、みなさん超伝導の不思議を体感することができました。

世話人の私もまさかカフェで超伝導の実験をやるなんて思ってもみませんでした。いやー、やっぱり実験は楽しいですね。もっと学生時代に実験を楽しんでおけばよかったと悔やんでおります。今後もカフェペディアでいろいろと実験をやりたいな・・・とひそかに思う世話人でありました。

西田さん、盛りだくさんの内容ありがとうございました。リニア鉄道、ぜひ体験試乗したいですね。

2011年7月1日金曜日

報告書 第三十六夜 「アングラズーラシア ~動物園のアートな挑戦~」

1月28日に開催した第三十六夜の報告書です。
横浜市立よこはま動物園ズーラシアの長倉かすみさんを語り手に迎え、開催しました。



日本には動物園と呼ばれる場所が300あるそうです。

そもそも動物園とは何ぞやということですが、

「野生動物を飼育して、一般公開している場所」

ですが、それだけでは言い方は悪いですが「見世物小屋」となんら変わらないでしょう。

現在、多くの動物園では教育活動に力を注いでいます。
と言っても、動物園によってその教育活動の方向性、方法は様々です。

動物園における教育活動を特徴づけるのは

動物の展示方法
展示している動物の種類
そしてそこで働く人

だそうです。

長倉さんのフィールドであるズーラシアは

展示方法としては本格的な生息環境展示を行っています。生息環境展示とは動物が本来の生息環境にいるところを見てもらうとともにその環境も見てもらうという展示方法ですが、私もズーラシアに来園した際に生息環境展示のスケールの大きさ、内容の徹底振りに衝撃を受けました。

広大な園内はそれぞれの動物が生息する地域ごとにゾーニングされ、それぞれのゾーンはその地域の気候風土をイメージしたデザインになっています。

熱帯雨林のゾーンの園路を歩いていると植え込みから霧が湧き出してきたり、南米地域のゾーンでは園路脇にオルメカ文明が栄えた地域で見られる人の頭の石像が転がっているなど、動物が展示されている場所以外にもこだわりがあり、園路を散策するだけでもいろいろな発見があります。周辺の雰囲気から作りこまれている点は動物園界のディズニーランド(?)という感じです。

さらに、環境の雰囲気を大事にするためお来園者からスタッフが見えないように裏側を通るなどしているそうです。


この徹底した生息環境展示にも、動物や飼育員と来園者との距離が遠くなってしまうというデメリットがあるそうです。

そして、ズーラシアでの展示動物ですが、オカピやテングザルなどの絶滅危惧種の展示が中心になっているそうです。逆に言うと一般にお馴染みの動物はあまり飼育されていないそうです。

ズーラシアはとても個性ある動物園ですが、その個性ゆえに来園者からは

キリンはいないんですか?

餌をあげられる動物はいますか?

動物に触れる場所はありますか?

などの問い合わせがあるそうです。

そこでズーラシアでは「触る」以外の感覚で動物とふれあうことはできないだろうか?といろいろな取り組みを通じて、動物を介して環境をテーマとして人が主体的に参加する場所としての可能性を探っているそうです。その取り組みをいろいろと紹介していただきました。


“なまけものLIFE“

ズーラシアにはナマケモノはいないのですが、来園者自身にナマケモノになってもらおうという企画で数名の怪しげな動きをするナマケモノパフォーマーが来園者を巻き込み、ナマケモノのスローな生活を体感してもらおうという取り組みです。


“ズーラシアの音楽”

アーティストが様々な動物の前でピアニカをならし、動物の反応を引き出して行き、ともに作曲していきます。言葉にたよらない感覚でのコミュニケーションをどう生み出し、感じていくかという取り組みです。ピアニカの音に合わせて鳴くサル(ドゥクラングール?)の声と表情が印象的でした。



音楽は動物にさわれなくてもできるコミュニケーションで、しかもヒトにも動物にも絶対的な答えがなくお互いに模索していくことが出来ることが重要ではないかと長倉さんは語られました。

ふと考えたのはヒトはペットやはたまた植木鉢のサボテンに話しかけたり、さらにはゲーム上のキャラクタと会話したりと、自分と異なる種の生物(生物にかぎりませんが)と積極的にコミュニケーションをとろうとします。ヒト以外の生物ではそのような欲求を持つ生物はいるのでしょうか?ペットを飼育した経験のある方々は迷わず、動物はコミュニケーションをとろうとしていると答えるでしょう。ペット飼育経験のない私には動物は単に環境に作用し、その効果を計っているだけではないかと、ひねくれた考えが浮かんできます。・・・そもそもコミュニケーションとはなんだろう?とわからなくなってしまいました。


“ぞうきんオカピ”

ズーラシアでは実際に動物に触れることが出来ないので、ぞうきんでつくったオカピに触れてみようという取り組みです。ふれあいが活発になるほどぞうきんオカピがぼろぼろになっていくという点が実際の動物にふれあうことと重なってなんとなく考えさせられました。


“アニマルフォトボード”

来園者が写真を撮るボードで、観光地などによくあるやつを動物園らしいデザインでつくってみようという取り組みです。ズーラシアでは来園者が関わることで完成するデザインにしようという発想でフォトボードをデザインしていきました。例えばインドゾウのパネルでは来園者が象と綱引きをしているような写真を撮ることができます。来園者が動物とこういうことをやってみたいと思うだろうなーということをフォトパネルで可能にするわけです。


その他にもさまざまな個性的な取り組みを紹介していただきました。これらの取り組みは動物園から発信するメッセージであり、メッセージを伝えていくためにの様々なデザインが組み込まれています。長倉さんは3つのデザインをあげられました。

体験のデザイン

余白、包容力のあるデザイン

インタラクティブなデザイン

これらのデザインをズーラシアではアーティストと飼育スタッフのディスカッションで実現させていったそうです。

デザインを実現させていく過程にもコミュニケーションが必要であり、その過程そのものがデザインといえるのではないかと思います。


さてさてこれらの取り組みは動物園の教育活動として展開されていったのですが、いったい動物園における教育とは何を目標とするものなのでしょう。そのあたりを最後に語っていただきました。



動物園は生き物を飼育する場所です。そこでは新しい命の誕生とともに死も日常の出来事です。ズーラシアでは開園から10年、動物園で生まれた命は582、無くなった命は515だそうです。動物園は同じような割合で生と死に出会う場所です。

長倉さんに見せていただいたVTRにはガンで弱ったハリネズミの様子が映し出されていました。そして、こう問いかけました。「このハリネズミに対してみなさんはどうしますか?」

できるかぎり延命治療をする

何もせずに自然に最後を迎える

安楽死

会場のみなさんはそれぞれの答えがあるでしょう。

さらに長倉さんは続けます。

動物園の教育、動物園らしい教育とは命が響きあう教育である。

動物園は生き方を考える場所でありたい。答えのないことを考え始めるきっかけ

大切なのは正解を決めることではなく、事実を知って、自分なりの考えをもつこと。

「自分なりの考えをもつこと」

私もとても大切なことだと思います。

今回の長倉さんの話を伺い、こう考えました。

自分なりの考えをもつには多くの人や出来事とコミュニケーションをとる必要があります。自分の中だけで悶々と考えているだけでは自分なりの考えにたどりつくことはできないと思います。さらに常にコミュニケーションを続けていれば、自分なりの考えも常に変化していきます。そうなるときっちり固まった、永遠普遍の自分なりの考えはありえないことだと思います。大切なのは自分なりの考えを持とうとする姿勢、そのために他者とそして自分自身と対話を続けることなのかもしれません。

そう考えると様々な取り組みを実現化させるために、ズーラシア、長倉さん、そして多くの人が行ってきた試行錯誤の過程そのものが、動物園の教育なのではないのかなーと思いました。


2011年最初のカフェペディア、自分自身に置き換えていろいろと考えさせられた夜でした。

長倉さん、体調不良にも関わらず、熱い思いのこもった語りをありがとうございました。

2011年6月30日木曜日

報告書 第三十五夜「素数の力!」

かなり時間が空いてしまいましたが、昨年12月7日に開催した第三十五夜の報告書です。

なぜ、時間がかかったか?言い訳させていただきます。それはこの回の内容を全て理解して書こうとしてしまったからです。これが大間違いでした。理解ではなく感じるままに書けばよかったのです。何を言っているのかわからないと思いますが、この報告書を読んでいただければなんとなくわかっていただけるのではないかと思います。と言っても相変わらず支離滅裂の文章になっているかと思いますが…。

…報告します。

第三十五夜のカフェペディアは九州大学の若山正人さんを語り手に迎え、数学をテーマに開催しました。

タイトルは「素数の力!」。

素数…。
”1とその数自身以外に割り切れない、1より大きな自然数”、学生時代、数学の時間にそのように学びました。それ以降、素数という言葉には触れたことがありません。




…と思いましたが、昆虫に興味関心のある私は”素数ゼミ”を通じて素数に触れていました。

とはいえ、それ以外には素数を考えたことはありません。その素数の”力”とは?

若山さんの話はその”力”の意味するところからはじまりました。

今回のカフェペディアで語られる「素数の力」の一つはカシミール力という数学を使って発見された物理的、微小な力。もう一つは我々の日常生活に使用されている技術としての力です。

日常生活に素数が使われている・・・?

携帯電話などの信号は情報セキュリティーのため暗号が使われているのですが、この暗号には素数が使われているということなんです。

なんと我々は常々、素数にお世話になっていたのですね。素数に思いを馳せなかった自分に反省です。

さて、この素数、いつ発見されたかというと今から2,500年程前、古代ギリシアのクロトンという町でピタゴラス学派の方々が「素数は∞個あるということを証明した」のだそうです。どうやって証明したかというと、背理法で証明していきます。つまり「素数が有限個である」と仮定して、それに矛盾があることを示し、故に素数は∞個あるということを証明するのです。えーっ、詳しい証明はネットで検索すると出てきますので省略します。

で、この素数が∞個あるということが、先に書いた「素数が暗号に利用される」と言うことにつながるわけです。暗号はつくりやすく、そしてその秘密を知らない人には解けないことが求められます。実際にどうやって素数を暗号にするかというと、大きな素数を複数設定し、それらを乗じた数を秘密のキーとするのだそうです。そうすると大きな数ですから、それが整数か素数であるのかの判定も困難になります。つまり、作りやすく、解かれにくいということになります。例えば100桁の数字が与えられて、これをすぐに因数分解、つまり素数の積で表せるか否かということです。

計算機で時間をかけて計算していけばできそうな気もしますが、現代の計算機の能力で素因数分解をするのに100年かかるのであれば、実生活では十分実用的な暗号であるということになります。

話はオイラーのゼータ関数へ…この辺りから私の理解は追いつかなくなっていきます。報告書の内容は私の理解の範囲で書いていきますので間違った理解があればご指摘ください。

まずはバーゼル問題の紹介

1+1/2+1/3+1/4+1/5+1/6+1/7+1/8+…=∞

ですが、

1+1/2^2+1/3^2+1/4^2+1/5^2+1/6^2+1/7^2+1/8^2+…=π^2/6
になるそうです。

で不思議なのがこの分数の部分が偶数乗のときはπがでてくる値になるのですが、奇数乗になるとどうなるのかは不明のままなのだそうです。

感覚的には∞個に数を足せば∞になるように思いますが、必ずしも∞にはならないんですね。


で、

スクリーン上にはさらに理解不能な式があらわれます。

"1+1+1+1+1+…"=-1/2
"1+2+3+4+5+…"=-1/12
"1^2+2^2+3^2+4^2+5^2+…"=0
"1^3+2^3+3^3+4^3+5^3+…"=1/120

普通に眺めれば、これって全部∞になるのでは…と思うのですが、よく見ると式の左辺は""でくくられています。
早速質問です。やりとりを要約すると、

「""はなんですか?」

「解析接続をするということです。」

「解析接続とは?」

「∞へと発散する式は意味がないから、式の関係性を拡張し意味を持たせるのです。」

「・・・?」

「一つの式だと意味が限られる、二つの式を組み合わせると意味する世界が広がる。解析接続とは意味を拡張するとも言えます。」

若山さんにはいろいろと図示していただき説明していただいたのですが、私の正直な感想は

「わかるようで、わからない…。」

ですが、わかるようになるために必要なことはたぶん

数式を数式として理解するのではなく、1、2、3…という個数にとらわれるのではなく、数式があらわすことをイメージとして捉えることができる感覚なのだと思いました。



若山さんはさらにわかりやすく語っていただきました。

「発散しているものにどのように意味をもたせるかが解析接続である。」

「発散を正当にくりこむ」

「見かけの∞、それだけを見ていたら何も見えてこない」

「∞をどうとらえるか?」

「∞とは状態を示すもので、∞を∞のままにしておくことは∞を傍観していることである。」

「∞になっていくことに意味をもたせる。ただし意味を持たせられない∞もある。」

いきもの脳の私としては、生態系をどうとらえるのかに似ている感覚のような気がします。自然環境もただ傍観していては何も見えません。ミクロに、マクロに、様々に関係性を変えて、その捉え方を変化させるといろいろな意味が見出されます。自然界の営みも目に見えるものではありません。背後にあるものをイメージする能力が必要です。例えば花にとまる昆虫を見てその背後にある関係性をイメージできるかということです。かなり話が飛びすぎましたが、若山さんの話を聞いて私が考えたことであります。

さてさて、話はリーマン予想、カシミール効果と続きます。

リーマン予想とは素数の分布に周期性があるということにつながる予想です。最新の計算機で試すと100万個はその予想の上にあるそうです。ですが、いくつあろうが、証明できなければ数学的には意味がありません。ということで未だにリーマン予想は証明されていません。


とここで疑問、素数の分布に周期性があることが判明したなら素数をつかった暗号はすぐに解読されれしまうのでは?

暗号の安全性は下がるけれども、現在でもリーマン予想を仮定した安全度で暗号をつくっているので、実際には問題ないそうです。ただし、革新的な計算スピードを可能にする量子コンピュータが発明されるとあぶないそうです。技術革新が行われるとさらに技術革新が必要になるのですね・・・。

続いて、もう一つの素数の力、カシミール力。
どのような力かというと。真空中に2枚の金属板を並行におくと発生する微小な力です。数学の理論によってその存在が予想されていたのですが、最近ようやく実験で測定されたのだそうです。つまり数学の理論が実際の力を現しているのです。

数学者曰く、「素数と宇宙がどちらが裂きにあったかというと、素数の方が先にあった!」

このカフェペディアが開催された2010年はカシミール力を予想したカシミール生誕101年だそうです。

ここで、若山さん一句

「素在りと目にはさやかに見えねども、空(くう)の力におどろかれぬる」(カシミール効果(真空)の歌)

この歌の元ネタは
「秋来ぬと目にはさやかに見えねども風のおとにぞおどろかれぬる」という古今和歌集1111首のうち169番目の歌だそうです。

リーマン予想が提出された年は1859年

出てきた数字を整理すると
この1859は素因数分解すると 1859=11×13^2=11×169
              1111=101×11

全てが関連する!
そんな記念すべき2010年は素数的にも特別な年なのでありました。

正しい命題を証明したとき、数学では「発明した」ではなく「発見した」と言うそうです。数学者、小平邦彦さん曰く、「夏目漱石の『夢十夜』にある運慶が仏像を木から掘り出す話と同じく、数学的事実は我々が知らないだけであるんです。」そういう意味で、宇宙の前に素数はあると言えるのです。

高校までの数学はこった問題がいろいろと出されますが、これは訓練でなんとかなるそうです。しかし、大学での数学は言葉の習得、概念の習得でさらに直観力というものが求められるそうです。

そういう話をうかがって思いました。世界をとらえ、表現する方法には物理学、生物学、文学、絵画、音楽などたくさんの方法があって、数学もその一つなのではないかと。人間が作り出した様々な学問はすべて世界を知りたいという欲求からはじまったものではないかと。そんなことをぼんやり考えました。

ひさびさ(十数年ぶり)の数学の話に私も含めて会場のみなさんはぐったりした様子でしたが、「久々に脳味噌がいい汗をかいた」という感じで、スポーツを楽しんだ後のような、爽快な疲労感に満たされておりました。


参加者のアンケートにも印象的な言葉がありました。「今回のカフェペディアでの話は理解は困難だったけど、詩をきいているような心地よさがあった。」

私もそう感じました。
今回のカフェペディアをきっかけに私の数学観は大きく変わり、数学関連の本を読むようになりました。が、よく理解できないことばかりですが…。数式を絵画を見たり、音楽を聴いたり、イメージとしてとらえることができるようになりたいと思っております。

若山さん、素敵な時間をありがとうございました。

2011年1月12日水曜日

報告書 第三十四夜「建築史家のお仕事~身近なたてものを見る眼~」

昨年11月24日に開催した第三十四夜の報告書です。
この夜は西日本工業大学の倉方さんを語り手に迎え、「建築」をテーマに開催しました。

私も仕事で「建築」に関わることが少なからずあるのですが、「建築」=「”建物”をつくること」というイメージで、見た目のかっこよさを考えるのが「建築」デザインということかなー程度にしか考えたことはありませんでした。

今回の語り手の倉方さんは建築史家です。まず、建築史家という肩書きの方と出会うことがはじめてです。建築史って○○時代に○○という建築様式があって・・・とか、○○という建築家は○○という建物をデザインしたとか、どちらかというと歴史的な記録を収集し、整理していくことだろうというのが、建築史という言葉を聞いたときの最初のイメージでした。

そもそもなぜ建築史が工学部の建築学科の一分野としてあるのか?今回のカフェぺディアはその話から始まりました。


建築士になるためには建築の歴史である建築史が必修なのだそうです。数学や物理にはその学問体系自身に歴史という分野がないのに建築ではその分野の一部分として建築史があるのか?例えば数学や物理の方程式を使う時にはどうやってその方程式が発見されたかという歴史の知識は必要ありません。なぜなら、方程式そのものが歴史を含んでいるからです。言い方を変えると発展してきた歴史の成果が方程式なのです。
それでは建築はどうなのか?建築は一方向に進歩してきたものではない。昔の建築でも心地よいということが多々あります。建築という概念の中には必ず人間が入ってきます。なぜなら、心地よいとか美しいとか感じるのは人間だからです。それじゃあ、人間そのものは進化しているかというと、進化しておらず、ただ過去の蓄積があるのみです。ということで「建築は進歩していない、なぜならば人間が進歩していないから」となるわけです。

これを聞いて、哲学思想などの分野にも通じるものがあると感じました。哲学思想においても古いものは全く使えないというものではなく、ギリシア哲学や儒教、老荘思想などなど大昔に考えられたものが未だに輝いていて、むしろ現在の哲学思想はそれをこねくりまわしているにしかすぎないと感じるからです(私は哲学思想を専門的に勉強したわけではありませんので、あくまでも素人の感じたこととしてお読みください)。それはやはり、哲学思想が人間そのもののことであり、その人間自体が進化していないからだこそなのではないでしょうか?それでは人間の進化とは何か…。とあらぬ方向へと思考がさまよって行きそうになりましたが、気を取り直して報告書を続けます。

さてそれでは、他の分野と違って、建築にはなぜ建築史があるのか?建築は進歩しておらず、現在においても過去の建築は変わらずに魅力あるもの、使えるものとしてあり続けるというわけです。
極端に言うと一つ一つの建築が独立した学問体系というか、存在であって、そう考えると建築史とは単に建築の歴史ではなく、無数に散らばる個々の建築という存在を建築史家が結び付け、一つの形として組み立て、そこから何かを見出して行くことであるように思えました。

そして話題は日本で最初に「建築」という分野を確立した建築家であり、そして最初に「建築史」を確立した建築史家である伊東忠太の話へと進みました。建築史家としての伊東忠太は法隆寺の研究を行うなど、日本で最初の建築通史を整理したそうです。建築の歴史を整理するということは、日本という国が昔からまとまりがあって国としてなりたっていたんだという説明となり、日本という国を定義し、国家を維持するという目的があったそうです。これを聞いて歴史とは何ぞやということを深く考えさせられました。


ですが、倉方さん曰く、伊東忠太がおもしろいのは建築史家としてではなく、建築家として生み出した建築なのだそうです。紹介していただいた築地本願寺の建築はお寺でありながら、外観はインド風のつくり、内部にはステンドグラスがあり西洋風と思いきや、イスラム風のアーチがあったりといろいろな地域の歴史を折衷したデザインの建築です。また震災祈念堂は寺や神社風でありながら祈りの場所として内部は天井が高く、教会のようなつくりになっています。伊東忠太の時代の建築はゴシック様式とかロマネスク様式とか全体を整えた様式で構成するものであったのですが、伊東忠太はいろいろな様式を折衷して作り上げていったわけです。

ということで現在、伊東忠太という人は建築史を語る正統な研究者としてまた異端の創造者としての二つの評価がされる魅力的な人なのだそうです。

伊東忠太は建築哲学という壮大なテーマで大学の卒論を書こうとしたのだそうですが、未完に終わっており、その後それに対するリベンジとしてでしょうか、3年かけて世界一周の旅をしたそうです。その旅は一人旅であり、建築とは何かを考える旅だったのではないかと倉方さんは語りました。

自分なりに世界をどう捉えるかを考えるのが建築家であり、そしてそこから新しい概念、思想を表現する。伊東忠太以前の建築家は○○様式をなぞるのみでしたが、彼は世界を旅し、自分なりの世界の捉え方を身に付け、それを建築として表現した最初の日本人なのでしょう。
建築家ではない私は「自分なりに世界をどうとらえるのか?」ということは「生きる」ということそのものではないのかなーと思います。私は生物学や生態学に興味があり、その視点で世界をとらえてきました。しかし、カフェペディアを通じて様々な人達に出会い、そして語り合うことで、私の世界の捉え方は大きく広がったように感じます。相変わらず、生物学や生態学がその基盤にあることは確かなのですが、その基盤をもっと俯瞰で眺めるというか、例えば森という環境を昆虫の視点で見たり、宇宙からの視点でみたりとか・・・。私の中での生物学や生態学の存在する位置が大きく変化したように感じています。伊東忠太は3年かけて世界一周をして自分なりの世界の捉え方を探しましたが、私は3年間のカフェペディアを通じて(なんと2011年2月でカフェペディアは3周年です)、ぼんやりと自分の世界の捉え方が見えてきたように思えます。そしてそれはこれからもさらに変化していくように感じています。
さて、建築史家としての倉方さんは伊東忠太の研究を通じて、なぜこの人はこんな建築を作るのか?なぜこの人はこんな風に世界を捉えているのか?ということに興味が進み、今は現在の建築家と実際に会い、語ることを積極的に行っているそうです。


倉方さんが行ったおもしろい試みを紹介していただきました。建築家が影響を受けた本について語る「建築家の読書術」というイベント(本にもなっています)では、ゲストとして建築家が招かれるのですが、建築の話は一切せずに、好きな本についてひたすら語ります。一人の建築家が紹介する本のテーマはばらばらだけど、話を聞いているうちになんとなく全体がつながってくるのだそうです。
倉方さんは建築とは建築物や建物とは違うものであり、建築家が世界をどう捉えるか、そしてそれをどう世界に投げ込んでいくか。ということであり、そうした自分なりの世界観をつくるのに本はすごく役立つということを語られました。私も昆虫、植物、宇宙などの自然科学系の本から様々なマンガまで様々な本をテーマからすると無秩序に読みますが、不思議と自分の中ではその一つ一つがつながっています。あとはそれをどう世界に投げ込んでいくのかというところですが…。



建築をどう見るのかという点に話は進みました。
これは、倉方さんの研究室に事前打合せと称して遊びに伺った際に出た話とつながるのですが、花の形を観察するときに花だけを見ていたのではその形の意味がわかりません。しかし、その花に昆虫がやってくるととたんにその形の意味が見えてきます。例えば、蜜を吸う昆虫に花粉が必ず付着するような花の形であったりなど、昆虫と花の関係性の中でその意味がわかるのです。建築も同じようにその建築があ場所に行って、その建築を見てみるとそこで生活する人との関わりから建築の意味がわかってくるのだそうです。
「建築物」が「buildings」と数えられる名詞であるのに対して、「建築」は「architecture」と数えられないもの、すなわち抽象概念です。その抽象概念である建築の読み解き方の一つが建築史であるのだそうです。「建築物」としてではなく「建築」としてみる。そういう視点でまちを見てみるともっと楽しめると語られました。



語りの時間の後は恒例(?)のアフターカフェぺディアです。今回は多くの建築家の方々が夜遅くまで語りあいました。残念ながら私は風邪をこじらせてしまい声が出なかったため、話を聞くだけでしたが・・・。次回は大いに語り合いたいと思います。

2011年1月6日木曜日

報告書 第三十三夜「”翡翠(ひすい)”のロマン~東洋の宝石の謎を追う!」

年が明けてしまいましたが、昨年10/25(月)にいのちのたび博物館の森さんを語り手に「ヒスイ」をテーマに開催したカフェペディアの報告させていただきます。

正直言って私、学生時代には地学はいまいち興味が湧かない分野でした。実物を見たこともない岩石の名前を覚えるのが苦手でしかもどうも地味なものに感じていたからです。しかし、社会人になってこれまで興味があった生物や生態系についてさらに学び、理解を深めていくにつれて、実は生物や生態系は地球そのものと深くつながっていることに気づき、非常に地学を含めた地球科学に興味を持つようになりました。今回のカフェペディアはそんな私の興味関心の中でまさにタイムリーなテーマで開催されたものでした。


さて、会場のcreamに現れた今回の語り手、森さんのバックパックから取り出されたのは・・・巨大な岩が二つ。しかもかなり重い・・・。今までカフェペディアの会場に持ち込まれた展示物としては最重量物ではないかと思われます。確かに、森さんには「会場にヒスイを持ってきていただければ非常にイメージが湧きやすいです。」とはお願いしたもののこんなに重いものだとは知らず・・・。森さん申し訳ありませんでした。しかし会場入り口のテーブルに置かれたヒスイが目を引かないわけはなく、来場者のみなさんはペタペタとヒスイを触っておりました。

さて、いよいよこのヒスイについてのお話がスタートです。
カフェペディアの告知の際には「鉱物、ヒスイ」と書いたのですが、実はヒスイは少々違いまして。例えばダイヤモンドの宝石は一つの鉱物を磨いて宝石にしているわけでありますが、ヒスイはヒスイ輝石を主として様々な鉱物が集まった岩石を磨いて宝石にしたものなのです。ですから、厳密にはヒスイは鉱物ではなく岩石であったのです。で、様々な鉱物が集まってできた岩石ですから、交じり合ったものによっていろいろな色のヒスイが出来るわけです。このようなこと考えたこともありませんでした。確かに一つの鉱物でできた宝石であれば多様な色が出るわけもなく、多様な色ができるのはいろいろなものが交じり合っているからだということは確かにその通りです。きらきらしていれば宝石だと思っていた私にとっては、今まで宝石に対して非常に失礼であったと反省しました。

さてこのヒスイ、世界中における産地はなんとダイヤモンドより少ないのです!主要な産地はミャンマー北部、中米グアテマラ、カザフ地方、そして日本なのです!しかも日本には多数のヒスイの産地があるそうなのです。資源がないと言われる日本で宝石が採れるなんて思ってもいませんでした。


で、様々な日本のヒスイ産地の写真を見せていただいたのですが・・・。何の変哲もない山間部を流れる渓流の写真を森さんは「これとこれがヒスイで、ここは石灰岩ですねー」と指差して解説するのですが、私も含め会場の参加者は「・・・。」です。違いがわかりません。同じ風景でも見方と言うか、見る人によって見い出せるものが違うんですね。確かに私も昆虫が写っている草むらの写真を「こことここにいるよねー」っと自慢げに見せても、反応が「・・・。」の時が多々あります。当たり前のことかもしれませんが見る側の興味関心が違えば同じ風景でも見え方が違うんですね。そう思うと我々の身の回りは発見と驚きに満ち溢れているわけです。

話はヒスイの紹介から、そもそも岩石学の世界とはという内容へと進みました。
「岩石学の目指すもの、それは陰陽五行の思想に通じる」と語る森さん・・・。
どうつながるのだろう?ってのが私の正直な感想でした。


陰陽五行では木、火、土、金、水はどれも不変ではなく変化していくものとされています。すなわち万物は流転していくのです。
岩石も同じく不変ではない!
マントル→火成岩→砂や土→堆積岩→変成岩→マントル
などと長い時間をかけて変化していくわけです。
岩石がどのように、どれだけの時間をかけて変化していくのか、それにより地球の姿を考えようというのが岩石学なのです。
私、森さんのこの解説を聞いて

最初に森さんが「岩石学っていうのはありふれた非日常なんですよね。みんな岩石の上に住んでいる。でも普段はそれに気づかないんですよね」っと、さらっと言われていたことと、何の変哲もない山間部を流れる渓流の風景から岩石を見出す森さんの視点が私の中でつながり、おおーっとなんともいえない感動を感じてしまいました。

私も好奇心旺盛な方で土の中の小さな虫から宇宙の起源まで興味がありすぎるくらいあるのですが、そんないろいろなことを興味を持って考えていると、私たちが生きるこの世界は捉える空間的、時間的スケールこそ違えども、何か一つの大きな流れがあるように感じてしまう瞬間があります。今回の森さんの話を聞いていてその瞬間を感じてしまいました。

さて、岩石を知ることで地球の姿を考えるのが岩石学ですが、人間の寿命に比べて、岩石や地球の変化の時間はあまりにもゆったりとしていてその変化を見出すは非常に困難です。では岩石学ではどのようにしてその時間の壁に立ち向かうのか?「逆問題を解く」と森さんは言われました。これはどういうことかと言うと、例えば7+2=?という問題であれば答えは9とすぐにでますが、a+b=9という問題でaとbが何であるかを知るためには与えられた式が一つではわかりません。ここにa-b=5というもう一つの式が与えられればaとbを導き出すことができます。


岩石学も同じようにいろいろな岩石を調べ、いろいろな人の研究と比べることで、その岩石の謎が解き明かされていくわけであります。そしてその謎解きは決して一人ではできないのです。地球の謎に人類が協力して取り組む。このことに私、管理人はこれまたすごく熱くこみ上げてくるものを感じました。

こうして岩石学では様々な人々が時には協力し、時には競い合いながら地球の謎に迫っていくわけですが、ヒスイはその中でもその起源を調べることが最高クラスに困難なものなのだそうです。なぜかというとそもそも見出されるヒスイのサンプルパターンが少ないからなのだそうです。つまりa+b=9のaとb
を知りたいのだが、a+b=9の式しか見つからないわけです。こうした困難の中でヒスイの起源については現在大きく二つの説があって、一つは岩石がその成分の入れ替えによってヒスイになるという交代説、もう一つは水分から水あかのようにできるという沈殿説です。どちらの説も一長一短があって、交代説ではどんな岩がどのような過程でできるのかという証拠が見つかっていないということ、沈殿説では水はどこにでもあるのだから、ある場所にだけヒスイができるという珍しさを説明できない。と、未だにどちらの説も決定打に欠けているわけです。


森さん曰く、地球の奥深くで起きていること、人間の目で見ることができないこと、それをどうにかこうにか説明しようというところがおもしろい!

これまでカフェぺディアで様々な語り手の方々の世界に触れ、思ったことは人間は目に見えないことでも「考える」という能力を使って知ることが、知ろうとすることができるんですね。これが人間のおもしろさであると私は感じています。そしてその「考える」能力があるかぎりはこの世界は発見と驚きに満ち溢れ、決して退屈することはないんだろうなーと、森さんのお話を聞きながらぼんやりと思いました。


いつものようにカフェペディア本編(?)の後はアフターカフェペディア(こちらのほうが本編でしょうか・・・)でたっぷりと岩石の世界について語り合いました。森さん、遅い時間までお付き合いいただきありがとうございました。いのちのたび博物館で開催されるオルメカ文明展のヒスイの仮面、ぜひ見に行きたいと思います。

2010年10月5日火曜日

報告書 第三十二夜「夫婦の絆と危機:サンゴ礁の一夫一妻、ミスジチョウチョウウオの生活」

開催から1ヶ月以上たってしまいました・・・。ようやく報告書アップです。

8/26(木)に帝京科学大学アニマルサイエンス学科の藪田さんを語り手に向え、「エソロジー=動物行動学」をテーマにカフェペディアを開催しました。


私が最初に「動物行動学」という言葉に出会ったのは、確か高校時代に読んだコンラート・ローレンツの著書「ソロモンの指輪」です。この本を手に取ったのは動物行動学に興味があった!のではありません。当時、「指輪物語」(映画、ロードオブザリングの原作です。)や「ゲド戦記」などのファンタジー小説にはまっていた私は動物と話せる不思議な指輪、「ソロモン王の指輪」を冠する本(しかもファンタジー小説をたくさん出版している早川書房です)をファンタジー小説だと勘違いして図書館で借りたわけですが、もちろん内容はまったくファンタジーではありませんでした。しかしながら丁度、生物の授業で出てきた「刷り込み」という用語が、「ソロモンの指輪」の中ではコンラート・ローレンツ博士が動物たちとの生活を通じた体験からどうやって見出され、理論となったのかがファンタジー小説以上にわくわくさせる展開で書かれていて、教科書の中の「刷り込み」という「用語」が私の中で奥行きのある「言葉」として理解されたことが強く印象に残っています。

出だしから私的な思い出話になってしまいましたが、今回の藪田さんにはチョウチョウウオの行動観察を通じて、発見した理論を話していただいたのですが、「なるほどそういう理論なんだ」という面白さの部分もありましたが、それ以上に私は藪田さんという人がその理論にたどり着くまでの物語を堪能した!という感じがすごく面白く感じました。それはまさに「ソロモンの指輪」を読んだときの感覚と同じだったのです。

と、いきなりまとめっぽいことを書いてしまいましたが、報告を続けます。

まずは動物行動学(エソロジー)とは何か?
動物の行動を研究する生物学である。
さらに言うなれば、自由な生活をする動物の自然の行動を研究する学問であります。
で、その根底にあるのは全ての動物はそれぞれ固有の行動をもち、それらは遺伝的である。ということは、種に固有の行動は進化の産物である。つまりは行動も遺伝し、それは進化の産物であるという考えにたどり着きます。

さらっと書きましたが、これってよくよく考えると思考のブラックホールに引き込まれていきます。私の中でも「行動は遺伝するのか?」という点は、その話題をツマミに一晩どころか一生、語れるのではないかと思うほど、深い問いです。
そんな深い問いへと迫る方法の一つが動物行動学なのであります。

藪田さんは沖縄の海に潜る日々の中(?)でチョウチョウウオがいつも二匹で泳いでいて、しかもそれが雄雌のペアであることに気づき、チョウチョウウオが一夫一妻であるのではないかと思うわけですが、それを調べるためにはさてどうすればよいか?
二匹を追いかけて産卵するのを目撃する!これこそが確実な証明になるわけです。
といっても水中を自由自在に泳ぐチョウチョウウオを探偵のごとく、相手に気づかれることなく尾行し、証拠現場を押さえるわけですから、そこには並々ならぬ苦労があるわけです。

最初に追っかけていたのはフウライチョウチョウウオなのですが、この種は浅瀬から深い外海まで泳ぎまくるため追跡はかなり困難で、2年間追っかけても成果はゼロ。そこで相手をミスジチョウチョウウオに変えたらなんと次の日に一夫一妻での繁殖行動を目撃!
藪田さん曰く、「フィールドワークは運!」だそうです。

が、”運”というやつはただ待っていてもやってくるわけではないと思います。宝くじも買わないと当たりません。私も時々、昆虫写真を撮りに野外を歩くわけですが、ただ歩いていても、おおーっという出会いはなく、かといってがつがつ探していても出会うことはめったにありません。一生懸命目当ての昆虫を探していて、結局見つからずに、今日はだめだなーと思いながらの帰り道に目当ての昆虫ではないけど別の魅力的な昆虫に出会い、ラッキーということがよくあります。といっても野外をうろついていなければ出会わなかったわけだし、たまたま出会った昆虫に魅力を感じなければ、ラッキーとも思わなかったわけだし、要は、そこらに転がっている運を捉えることが出来る感覚を磨き、そして広げていることが運に出会うことなんじゃないのかなーと思います。と、話が思いっきりそれた感じがありますが、藪田さんがミズジチョウチョウウオの繁殖行動を目撃できたのは、その前にミスジチョウチョウウオの個体識別を行っていたからこその”運”であるのだと思います。


さて、フウライチョウチョウウオでは繁殖行動の目撃ができず、なぜミスジチョウチョウウオは目撃できたのか?さらに目撃を重ねていくと、ミスジチョウチョウウオは外海に出ないで浅瀬で産卵している。さらにある特定の場所でよく産卵するということに藪田さんは気づきます。そこででてくる疑問はなぜそこが産卵の人気箇所なのか?その周辺の潮流を調べると、その産卵人気スポットは外海へ向う流れが生じる場所であることがわかります。生んだ卵を天敵の少ない外海に早く流れ出すため、外海へと潮が流れる場所が産卵の人気スポットとなるわけです。と、さらっと書きましたが、この発見にたどり着くまでの嵐の海でのかなり危険な調査エピソードが語られたのですが、私のつたない文章ではそのどきどきわくわく感が伝わらないので書かないことにします。

さて、チョウチョウウオは一夫一妻ばかりかというとそうではなく、ヤリカタギというチョウチョウウオの仲間は一夫多妻なのだそうです。このヤリカタギの調査時にも、雷の鳴る暗闇の海で金属製ボンベを担いだ調査という恐怖の体験を明るく語っていただいたのですが、それも私の文章では表現できないので書かないことにします。


さて、一夫一妻の証拠現場を押さえられたミスジチョウチョウウオですが、彼らは2匹が出会うと「体をS字に曲げて、相手に体の側面を見せて、頭を下げる」というディスプレイ行動を行います。で、このディスプレイ行動には一連の流れがあって、相手が近づいてくる→ディスプレイする→相手はディスプレイし返す。というパターンになるのですが、ディスプレイした相手がディスプレイし返さなかった場合は攻撃を始める、もしくは逃げ出す行動をとることが観察されました。で、一夫一妻のパートナー同士であればもちろん攻撃しないはずなのですが、時たま攻撃するということがあったそうです。そこで、パートナーを攻撃したのはパートナーを見間違えたからだと仮説を立て、間違える確率を「どちらが間違えるのか」とか「どの方向から近づくか」などといった要因を組み入れて数式化し、実際の観察された行動から数値を入力するとその数式が当てはまり、パートナーへの攻撃は見間違えであるという仮説が正しいらしいということがわかったそうです。

それまでの発見へいたる話が「追跡して目撃する」といったアクション映画風の展開であったのが、一転し仮説を数式化し、それを目撃と照らし合わせて証明するという「ガリレオ」(福山雅治主演でドラマ化された)ばりの推理ドラマの展開に数式を説明する藪田さんの姿が福山雅治演じる湯川准教授に見えました。一方で、行動が数式で証明されるということに納得しつつも、自然界の様々な現象を表現する数式とはいったい何者なんだろうという新たな疑問が沸き起こったりもしました。


さて、チョウチョウウオのディスプレイはパートナー間の攻撃を回避、予防するわけですが、どうしてこのような行動が生じたのか?という新たな疑問が生まれます。そこで紹介されたのが「動機付けの葛藤仮説」です。
遠くから相手が近寄ってきたとき、パートナーかどうかよくわかりません。そのとき近寄られるチョウチョウウオには「逃げたい!」という欲求と「攻撃するぞ!」という欲求が沸き起こります。どちらか一方の欲求だけが沸き起こるのではなく、相反する両方の欲求が沸き起こり、「逃げたい!」という欲求が強ければ逃げるし、「攻撃するぞ!」という欲求が強ければ攻撃することになるのですが、それでは両方の欲求が同じであればどうなるか、葛藤に葛藤し・・・「ディスプレイ」するという行動にでるわけです。ディスプレイで時間稼ぎをすることで、相手の行動を量ることができるわけです。極端に白黒つける行動をとるのではなく、その間の行動をとる。それがディスプレイという行動を進化させていったというわけです。

この話の途中で藪田さんがおもむろに紹介した言葉がこれです。
「Yes or Noとせまられたら、胸を張って”Or!”と答えればいいんです!」
落語家の立川志の輔さんが普天間基地の問題に対して語った言葉だそうです。

日本社会に生きる人間としてこの言葉はしっくりきます。
相手のこととか自分のこととかいろいろ考えると全体的にしっくりくる答えは”Or”だよなーっということは多々あります。


藪田さん曰く、進化とは完全に合理的なものかというと、そうではなくて不合理なものの上になんとか合理的なものを積み上げているようなもので、それがまた不合理になればさらになんとか合理的なものを積み重ねていく。それが進化。だからこそ”Or”=ディスプレイという行動も進化していくのです。

「不合理の上に合理を積み重ねていく、これの繰り返し。」何が合理的で何が不合理かという判断の尺度は抜きにして、すごくわかります。私は骨格標本作りをやることがあるのですが、生物の体は進化の過程で先祖となる生物の体をベースに変化が生じていくわけですが、様々な骨を見るとうまく体をつくっているけど、けっこう無理しているなーと思うことが多々あります。ハトの骨格を見て、ペンギンやダチョウの骨を見るとせっかく空を飛べる骨格になったのに、なんで無理してこんな体にしたんだろう?でもうまい具合にやってるなーとつくづく思います。様々な哺乳類の骨格を見ると人間の骨格なんて、不合理すぎです。
生息環境が寒ければ毛深いほうが合理的であり、暑くなれば毛深いのは不合理です。何が合理的でなにが不合理かはその時々で変化するわけであって、その時々で合理的を追求しすぎてしまうと変化に対応できなくなります。不合理をたくさん抱えているほうが環境の変化に対応できる可能性が高く、変化する環境の中では不合理こそが合理的なのでは・・・何を言っているか分からなくなりました。

体の構造と同様に行動も進化するものであるのであれば、変化する環境に適応するため不合理を抱え込む行動、”Or”の行動が生まれるのは納得であります。

こうやって報告書を書いていると、頭の中ではなんとなくわかっているのですが、きちっと合理的な文章としてなかなか表現できません。が、胸を張ってこう書きたいと思います。私の文章は”Or”なんです。なんかうまく自分の文章のつたなさをごまかしたような気がしないでもありませんが・・・。

語りの時間終了後はアフターカフェペディア、経験、話はあっちこっちへと流れながら、本編の語りに加えてさらに私は深~い、深~い思考へといざなわれていきました。


追伸
藪田さんから会場でも紹介がありましたが、様々な動物の行動の映像をみんなで投稿し、共用しようという動物行動の映像データベースhttp://www.momo-p.com/があります。いろいろな動物のいろいろな行動を見ることができます。私も自然教室の子どもたちと動物行動を撮影し投稿したいと思います。みなさんも見るだけでなく撮影&投稿してみましょう!

2010年9月9日木曜日

報告書 第三十一夜「虫たちとの30年~博物館での昆虫研究~」

これまた開催から時間がたってしまいましたが前々回の報告書です。

報告書を書く際には当日撮影したVTRを見返しています。
一人VTRを見ながら、リアルタイムで話を聞いていたときには気づかなかった新たな発見に「へーっ」と思ったり、分からない部分があるといろいろと自分で調べたり、時にはアフターカフェペディアの会話を思い出しながらニヤニヤしたりと、カフェペディアを二倍楽しんでおります。

さて、今回は8/11(水)にいのちのたび博物館の昆虫担当学芸員である上田さんを語り手にお迎えして開催したカフェペディアの報告です。


今回はタイトルに「昆虫」があったためか、会場には子どもの姿がちらほら。
ということで、上田さんの第一声は「今日のタイトルは”あなたも博物館の学芸員になれるかもしれない”にしよう。」っと。
こういうこともアリです。過去には当日にタイトルが明らかになった回もありましたし・・・。こういう即興性が私的には魅力です。

上田さんは仕事の一つとして「コヤガ」という「ガ」の分類を研究されているとのこと。
なぜ分類か?

「並べて分けるのが好き!」

だそうです。う~ん、並べて分ける・・・おもしろいのだろうか?

「並べていくと何かが見えてくる。それがおもしろい!」

なんとなく分かります!私も過去のカフェペディアのタイトルを眺めていると、その時々の記憶が頭の中で並んで、結びつき、突然、何か新しい考えが沸き起こったりします。その時はさらに新しい世界に進んだような気がして、わくわくどきどきします。この感覚に近いのかなー。

さて語りは進み、自然史博物館がいのちのたび博物館となる前、八幡駅のビル内に博物館があったころの話です。私は生まれも育ちも北九州市です。子どもの頃、博物館には何度か行きましたが、駅ビルの少し薄暗い階段を上がって入っていくと、所狭しと剥製や骨が並んでいるのが恐ろしくて、遊園地のお化け屋敷に入るのと同じような気持ちだった記憶があります(博物館関係者のみなさん申し訳ありません。今は剥製や骨が並んでいるとわくわくするまっとうな大人になっています。)。
そんな当時の懐かしい博物館の写真とともにその裏に隠された苦労(?)話が上田さんの口から次々と飛び出します。


上田さんが昆虫担当学芸員としてはじめてやった仕事はクジラの骨洗い!
手に入れたクジラを骨格標本にするために試行錯誤されたそうで、クジラの骨には油がたっぷり含まれていてこれを抜かなければならない。さてどうするか?
川原に埋めて水にさらすのが常套手段なのだそうですが、川の下流の人から怒られる可能性がある。それならと海水にさらして油を抜こうと響灘の砂浜に埋めて3年、意気揚々と堀りあげてみると油は抜けていなかった・・・。なぜなら響灘の海水温が低かったのです!
最終手段として給食用のなべで廃屋二軒分の廃材を燃やして煮て油を抜き、ようやく完成したのが現在はいのちの博物館、アースモールの天井に浮かぶクジラの骨格標本なんです!!

続いて、ウバザメの剥製物語


若松の脇田漁協から8mのウバザメが定置網にかかったとの連絡があり、現場に駆けつけたものの港に備え付けのクレーンでは海中から引き上げることができない、そのときたまたま白島石油備蓄基地建設のために停泊していたクレーン船がウバザメを海中から陸上へと引き上げてくれたのです!
これで一安心と思いきや陸に上がった8mのウバザメは重すぎてトラックに載せようにもびくとも動かない。そこでウバザメを傷つけないように毛布に巻き、トラックの荷台を傾け、ビニールシートを敷き、水を流しながらトラックのウィンチで引きずり上げ、なんとかトラックに載せ運んだのですが、今度は剥製にしようにも時期は年度末、予算がない!ほおっておけば腐ってしまう。そこで青果市場の巨大冷凍庫に保管しようとしたのですが、冷凍庫に入れるときはやわらかいから冷凍庫の狭い入り口を通るのですが、出すときは硬く凍っているので、冷凍庫内で解凍しないと出せない、そのためには冷凍庫の電源を数日とめなければなりません。そんなこと青果市場がOKするはずもなく、最後の手段はその年度に購入すべく交渉を進めていたイクチオサウルスの化石を購入先に1年間待ってもらい、その予算をウバザメの剥製製作にまわしたのであります。それが、現在、生物多様性館の天井に鎮座するウバザメなのです!

というように博物館での仕事というのはそのときそのときが前例のないもので、その都度知恵を絞って対応していかなければなりません。冒険野郎マクガイバーのようにです(例えが古かったでしょうか)。

その他にも日本にはいのちのたび博物館にしかないアフリカゾウの剥製に隠された秘話などなど。
博物館の展示物はどこからともなく集まってきたわけではなく、その一つ一つにその博物館にやってきた物語があるのです。そんな視点で博物館に行くとまた違った面で感慨深いものがあります。ぜひとも全ての展示物の物語を聞きたいものであります。

さて少し話しは変わって、そもそも博物館の仕事とは何か
・標本の収集
・標本の保存と整理
・標本の研究
・展示普及活動
からなります。で、この4つはそれぞれがつながっていてそれがバランスよく行われることが大切なのだそうです。


標本入手でおもしろい話がありました。
博物館の標本には個人コレクションの寄贈が多くあるのだそうですが、これが結構大変なのだそうで、まずは未整理なものが多く、これを整理しなければならない。整理する際にはどこで、だれが、いつ採集したのかをラベル化しないといけないのですが、個人作成のラベルは手書きの場合は特に癖字や略字で判読が難しかったり、また採集地については古い地名で現在どこなのかがわからない。採集日も例えば2602年6月5日などと書いてあって、これは未来から来た標本なのか?と思いきや2602年というのは皇紀での表記であり、西暦に直すには660年を引かなければならないということなのだそうです。古い標本だと採集した人が既に亡くなっていたりして、そういった情報を推理していくのがすごく大変なんだそうです。

こうやって入手した標本を整理し、データベース化していくことは博物館にとって重要な仕事で様々な研究が行われるうえでの礎になるものなのですが、このデータベース化の仕事は研究としてあまり評価されていないというのが現状だそうです。

これまで、私は博物館の展示を”見る”ことしかしてなかったように思います。上田さんのお話を伺い、博物館は展示から”読み取る”場所であると感じました。何を読み取るかは人それぞれであり、また同じ人でもその時々で違うはずです。
最初の上田さんの言葉にあった「並べていくと何かが見えてくる。これが面白い!」これが博物館のおもしろさをあらわしているのではないかと、ふと思いました。
また博物館に行ってみよう・・・。

あれっ、ここまで報告書を読んでみて昆虫の話がないと思ったのでは?


実はその後、琥珀の中で見つかったカマキリの化石の話があったのです。
しかも体長1mmほどのカマキリ・・・。現生種と比較して化石を同定する。そのためにも現生種の標本の整理、データベース化は必要なんですね。

アフターカフェペディアには子どもたちが上田さんに質問をぶつけていました。


で、子どもたち帰ったあとも話は延々と続き、さらに博物館の”いろいろ”な仕事(見えない虫が見える人への対応方法など・・・)の話をうかがい、本当にいろいろあるなーと思いました。そうそう、本編では語られませんでしたが、上田さんが昆虫の研究に進んでいくことになった話もおもしろかったです。次はそのあたりもふくめてカフェペディアでの語り、お願いします。上田さん、遅い時間まで楽しいお話ありがとうございました。

2010年9月6日月曜日

報告書 第三十夜「個性派ぞろいの南米の魚たち、その起源を探る!」

遅まきながら、たまりにたまった夏休みの宿題を仕上げて行きたいと思います。
7/20(火)に開催した第三十夜の報告です。

語り手はブラジル、リオデジャネイロ州立大学のパウロ ブリトーさんです。
実はパウロさん、第一回目のカフェペディア開催の際に参加されており、次回の来日時にはぜひとも語り手を!との約束を交わしていたのでありました。その約束が2年と5ヶ月後、実現したのです。パウロさん、約束覚えていただいてありがとうございます。&2年5ヶ月もカフェペディアを支えていただいたみなさまにも感謝です。


さて、今回のテーマは南米の魚とその起源です。
南米といえば思いつくのはアマゾン!昆虫にしても何にしてもいろいろな種がいるというイメージがしっかりあります。魚についてもそれは当てはまるようで、地球上の魚類は現在25,000種ほど把握されていますが、そのうち8,000種以上が南米の淡水魚なのです!3分の1です。地球は70%が水面に覆われているけど、そのうち97%が海水だといいますから、淡水は3%として、その3%のうち南米は・・・。つまり、すっごく限られた区域にものすごい種類の魚がいるということです。

南米大陸とアフリカ大陸はもともと一つの大陸がわかれてできたのですが、南米大陸は魚類の多様性が豊かですが、アフリカ大陸はそうでもないとのこと。


それはなぜなのか?

大陸が分かれた後の変化に原因があるそうです。
以下、地図がないと分かりにくいですが、文章にて解説すると、

①アンデス山脈ができるまで、南米大陸には海水が陸地内に頻繁に出入りしていた。
②ナスカプレートと南米プレートがぶつかってアンデス山脈ができると海水は陸地に閉じ込められた。
③でも、熱帯で雨が多いので死海のような塩湖にはならずに、ゆっくりと真水に変化していった。
④そしてギアナ高地とブラジル高地に挟まれた場所にはアンデスのふもとから川(その当時からアマゾン川?)が流れるようになった。
⑤そして、氷河期になり海水面が下がったときはアンデスのふもとには大きな湖ができて魚はそこに閉じ込められ、ギアナ高地とブラジル高地の魚類が交流した。そして氷河期が終わり海水面が上がると、アマソン川がにごり、魚の交流を妨げた。何度も氷河期が繰り返すことで交流と分断が繰り返し、魚類の種多様性が生まれた。


ということであると私は理解してのですが、パウロさん正しいでしょうか?

ここでびびっと、思い出しました。
第二十四夜の中島さんの話です。なぜ九州は川の生きものが多様であるか?これについて火山と氷河期の影響によるとの説を語っていただきました。大地の動きで海が遮断され、氷河期で海水面が上がったり、下がったり・・・。
昨今、生物多様性の確保が声高に叫ばれていますが、そもそも生物多様性を生み出す原動力は何か?と考えると環境の変動と生物のたくましさ(いい加減さであるかも・・・)であると私は思います。地球の生物のことなんて何も考えていないダイナミックな動き対しなんとか生物がしがみついている。その結果、生物は多様性を生み出していった。多様性とは地球の変化になんとかしがみつこととする生物の能力であると感じます。もっと言うなら、地球のダイナミックな動きは宇宙環境の変化とも対応しているわけで・・・。う~ん、あまりこのことを考え出すと話しが進まなくなりそうなので、報告書を続けます。

ということで南米の魚類は多様なのですが、それじゃあいったいどんな魚たちがいるのか?
南米大陸の大昔から現在に至るまでの歴史の流れをたどるように大きく4つのタイプがいるそうです。
以下、写真がないので分かりにくいのですが、ざっと紹介すると

その1 海起源の魚、ヤツメウナギやメジロザメ、ノコギリエイの仲間だそうです。海から7,000㎞離れた淡水にサメがいる。川で泳ぐのは要注意です。

その2 アフリカ大陸と南米大陸の両方に住んでいる魚、これは肺魚、ピラルク、アロワナです。私も知っている有名どころ(?)です。ちなみにピラルクはブラジルでは絶滅しかかっているそうです。なぜならとてもおいしいからだそうです。不謹慎ながら食べてみたい・・・。


その3 ウェーベル氏器官を持つ魚。ウェーベル氏器官?なんとなく聞いたことがある言葉です。ウェーベル氏器官はうきぶくろで音(振動)を集めて、骨で耳に伝えて、音を聞く器官だそうです。コイの仲間もこの器官を持っていて、池で手をポンポンと叩くと寄ってくるなんていうのもこの器官のおかげだそうです。で、南米にいるのはカラシン、ナマズ、デンキウナギの仲間です。

カラシンって何?ネオンテトラなどはカラシンの仲間だそうで、さらに有名なピラニアもカラシンの仲間です。ちなみにフライドピラニアとビールはとってもおいしいそうです。

ナマズの仲間も南米にはたくさんいるそうで、全34科中15科が南米に生息しているそうです。硬い鱗に覆われたカリチリというナマズ。これも安くてビールに合うそうです。さらに、スルビンと呼ばれる巨大ナマズ、これもおいしいそうです。さっきからおいしいお魚情報ばかりですが、恐怖の吸血ナマズ、カンディルはとても危険で、とっても小さい魚ですが、尿のにおいを感じて、男性の尿道の中に入ってくる~。しかもカンディルのえらにはさかとげがあって、抜けない~。恐ろしすぎます。

その4 海がせき止められて残った魚たちで、トビエイとかダツの仲間なんかがいます。

あとは、新たに海から入ってきた魚でスズキの仲間やタウナギ、ヨウジウオやカレイ、フグの仲間などがいます。

で、これらの中には肺魚やガーパイクなど恐竜が栄えていた時代からいる魚がいて、巨大隕石による大絶滅は南米の淡水魚には当てはまらない!とのことです。確か、第二十六夜の真鍋真さんの回で恐竜が絶滅したのは巨大隕石がきっかけになったらしいとの話をうかがいました。しかもその隕石はメキシコ、ユカタン半島に落下したらしいのですが、南米大陸のすぐ近くではないですか!!そんなに近くに隕石が落ちても、南米の肺魚やガーパイクは絶滅することなく生き残っている・・・。うーん、隕石説が誤りなのか、肺魚やガーパイクになんらかの生き残る偶然が働いたのか・・・。カフェペディアでいろいろな話を聞いていると、謎が深まる一方です。それが楽しいのであります。


さてさて、アフターカフェペディアでのフリートーク時間は片言英語が飛び交うにぎやかな場となりました。パウロさんもとても陽気な方で、差し入れの日本酒とともにカフェぺディアの場を楽しまれていました。私、管理人はこの日に備えて東京の目黒寄生虫博物館で仕入れた、シーラカンスのえらにつく寄生虫がプリントされたTシャツをパウロさんに披露しました。ひじょ~にパウロさんに受けていましたが、パウロさん自身は着たくはないと言っていました(とほほ・・・)。

今回は英語での開催ということで、いろいろと不安でしたが、第八夜で語り手をつとめていただいたいのちのたび博物館の籔本さんによるしっかりと内容をかみくだいた通訳のおかげで、会場のみんながパウロさんの話を楽しむことができました。私も報告書を作成することができました。籔本さん、ありがとうございました。

パウロさん、またの来日時にはぜひ第二弾をよろしくお願いします。それまで、カフェペディア続けますよね?