Cafepedia(カフェぺディア)とはcafe+encyclopedia(百科事典)を合成したもので、「百科の学術」つまり生物や物理、文化や社会、芸術や音楽…etc様々な「科学」をキーワードに、様々な方々を語り手に迎え、知的好奇心をくすぐる様々な話題をつまみにして、おしゃれなカフェで飲み物を片手に楽しい時間をすごそうという企画です。

カフェに参加している人だけでなく、その場に居合わせたお店のお客さん全員が、「科学」の話をBGMにお酒を楽しめるような雰囲気を生み出す。科学夜話”Cafepedia(カフェペディア)”はそんな粋な空間を目指しています。

2011年1月27日木曜日

第三十六夜のカフェペディアメニュー

第三十六夜のカフェペディアメニューです。

●ディナーセット \1250(1drink、プチサラダ付) 3種類よりお選びください。
・キーマカレー
・ソーセージとほうれん草のトマトソースパスタ
・鶏と緑野菜のクリームシチュー(バケット付き)

●デザートセット \750(1drink付)
・栗のパウンドケーキ
・チェリーのチーズケーキ
・くるみのガトーショコラ
・もちもち紫咲米プリン

2011年1月16日日曜日

お知らせ 第三十六夜開催!

今年最初のカフェペディア、テーマは「動物園の可能性」です!

北九州市の動物園と言えば、到津の森公園
2002年に民間から市へと運営が移った動物園なのですが、その当時、私は川端裕人さんの「動物園にできること」という本を読み、動物園という存在についていろいろと考え、そして、個人的な趣味で日本全国の動物園を巡ったりもしました。その際にズーラシアにも見学(遊び)に行ったのですが、そのコンセプトや運営思想に「こんな動物園もあるんだー」っと衝撃を受けました。今回のカフェペディアではタイトルにあるように、そのズーラシアのさらに深~い、アンダーグラウンドな部分に出会えるということで、さらなる衝撃が待ち受けているのでは!っと今からドキドキしております。

第三十六夜 「アングラズーラシア ~動物園のアートな挑戦~

語り手 長倉 かすみ さん
     (横浜市立よこはま動物園ズーラシア)
     http://www.zoorasia.org/
     
開催日時  平成23年1月28日(金)
        18:00開場~、19:30語り手の話~、20:30フリータイム~

「語り手の話」前後には語り手とのフリートークをお楽しみください。

※カフェでの飲食について
      18:00~19:00 自由に食事をお楽しみください。
      19:30~20:30 ドリンクのみご注文できます。
      20:30~    自由に食事をお楽しみください。
      飲食メニューについては後日、改めてお知らせします。
      お楽しみに!

参加費 無料(飲食については各自でお支払いください。)

場 所  「cream」
      北九州市小倉北区馬借1丁目15-8藤本ビル1F
      TEL093-533-3311
      http://www.cream-colony.com/

座席などの準備のため、事前におおよその参加人数を把握必要があるため、現段階で参加します。という方は1/26日(水)までにpost@cafepedia.net 担当 梅野 までご連絡ください。

連絡なしでも参加できますので、「急に時間が空いた!」、「今日はちょっと寄り道して帰ろうかな・・・」などなど、お気軽にご参加ください。

2011年1月12日水曜日

報告書 第三十四夜「建築史家のお仕事~身近なたてものを見る眼~」

昨年11月24日に開催した第三十四夜の報告書です。
この夜は西日本工業大学の倉方さんを語り手に迎え、「建築」をテーマに開催しました。

私も仕事で「建築」に関わることが少なからずあるのですが、「建築」=「”建物”をつくること」というイメージで、見た目のかっこよさを考えるのが「建築」デザインということかなー程度にしか考えたことはありませんでした。

今回の語り手の倉方さんは建築史家です。まず、建築史家という肩書きの方と出会うことがはじめてです。建築史って○○時代に○○という建築様式があって・・・とか、○○という建築家は○○という建物をデザインしたとか、どちらかというと歴史的な記録を収集し、整理していくことだろうというのが、建築史という言葉を聞いたときの最初のイメージでした。

そもそもなぜ建築史が工学部の建築学科の一分野としてあるのか?今回のカフェぺディアはその話から始まりました。


建築士になるためには建築の歴史である建築史が必修なのだそうです。数学や物理にはその学問体系自身に歴史という分野がないのに建築ではその分野の一部分として建築史があるのか?例えば数学や物理の方程式を使う時にはどうやってその方程式が発見されたかという歴史の知識は必要ありません。なぜなら、方程式そのものが歴史を含んでいるからです。言い方を変えると発展してきた歴史の成果が方程式なのです。
それでは建築はどうなのか?建築は一方向に進歩してきたものではない。昔の建築でも心地よいということが多々あります。建築という概念の中には必ず人間が入ってきます。なぜなら、心地よいとか美しいとか感じるのは人間だからです。それじゃあ、人間そのものは進化しているかというと、進化しておらず、ただ過去の蓄積があるのみです。ということで「建築は進歩していない、なぜならば人間が進歩していないから」となるわけです。

これを聞いて、哲学思想などの分野にも通じるものがあると感じました。哲学思想においても古いものは全く使えないというものではなく、ギリシア哲学や儒教、老荘思想などなど大昔に考えられたものが未だに輝いていて、むしろ現在の哲学思想はそれをこねくりまわしているにしかすぎないと感じるからです(私は哲学思想を専門的に勉強したわけではありませんので、あくまでも素人の感じたこととしてお読みください)。それはやはり、哲学思想が人間そのもののことであり、その人間自体が進化していないからだこそなのではないでしょうか?それでは人間の進化とは何か…。とあらぬ方向へと思考がさまよって行きそうになりましたが、気を取り直して報告書を続けます。

さてそれでは、他の分野と違って、建築にはなぜ建築史があるのか?建築は進歩しておらず、現在においても過去の建築は変わらずに魅力あるもの、使えるものとしてあり続けるというわけです。
極端に言うと一つ一つの建築が独立した学問体系というか、存在であって、そう考えると建築史とは単に建築の歴史ではなく、無数に散らばる個々の建築という存在を建築史家が結び付け、一つの形として組み立て、そこから何かを見出して行くことであるように思えました。

そして話題は日本で最初に「建築」という分野を確立した建築家であり、そして最初に「建築史」を確立した建築史家である伊東忠太の話へと進みました。建築史家としての伊東忠太は法隆寺の研究を行うなど、日本で最初の建築通史を整理したそうです。建築の歴史を整理するということは、日本という国が昔からまとまりがあって国としてなりたっていたんだという説明となり、日本という国を定義し、国家を維持するという目的があったそうです。これを聞いて歴史とは何ぞやということを深く考えさせられました。


ですが、倉方さん曰く、伊東忠太がおもしろいのは建築史家としてではなく、建築家として生み出した建築なのだそうです。紹介していただいた築地本願寺の建築はお寺でありながら、外観はインド風のつくり、内部にはステンドグラスがあり西洋風と思いきや、イスラム風のアーチがあったりといろいろな地域の歴史を折衷したデザインの建築です。また震災祈念堂は寺や神社風でありながら祈りの場所として内部は天井が高く、教会のようなつくりになっています。伊東忠太の時代の建築はゴシック様式とかロマネスク様式とか全体を整えた様式で構成するものであったのですが、伊東忠太はいろいろな様式を折衷して作り上げていったわけです。

ということで現在、伊東忠太という人は建築史を語る正統な研究者としてまた異端の創造者としての二つの評価がされる魅力的な人なのだそうです。

伊東忠太は建築哲学という壮大なテーマで大学の卒論を書こうとしたのだそうですが、未完に終わっており、その後それに対するリベンジとしてでしょうか、3年かけて世界一周の旅をしたそうです。その旅は一人旅であり、建築とは何かを考える旅だったのではないかと倉方さんは語りました。

自分なりに世界をどう捉えるかを考えるのが建築家であり、そしてそこから新しい概念、思想を表現する。伊東忠太以前の建築家は○○様式をなぞるのみでしたが、彼は世界を旅し、自分なりの世界の捉え方を身に付け、それを建築として表現した最初の日本人なのでしょう。
建築家ではない私は「自分なりに世界をどうとらえるのか?」ということは「生きる」ということそのものではないのかなーと思います。私は生物学や生態学に興味があり、その視点で世界をとらえてきました。しかし、カフェペディアを通じて様々な人達に出会い、そして語り合うことで、私の世界の捉え方は大きく広がったように感じます。相変わらず、生物学や生態学がその基盤にあることは確かなのですが、その基盤をもっと俯瞰で眺めるというか、例えば森という環境を昆虫の視点で見たり、宇宙からの視点でみたりとか・・・。私の中での生物学や生態学の存在する位置が大きく変化したように感じています。伊東忠太は3年かけて世界一周をして自分なりの世界の捉え方を探しましたが、私は3年間のカフェペディアを通じて(なんと2011年2月でカフェペディアは3周年です)、ぼんやりと自分の世界の捉え方が見えてきたように思えます。そしてそれはこれからもさらに変化していくように感じています。
さて、建築史家としての倉方さんは伊東忠太の研究を通じて、なぜこの人はこんな建築を作るのか?なぜこの人はこんな風に世界を捉えているのか?ということに興味が進み、今は現在の建築家と実際に会い、語ることを積極的に行っているそうです。


倉方さんが行ったおもしろい試みを紹介していただきました。建築家が影響を受けた本について語る「建築家の読書術」というイベント(本にもなっています)では、ゲストとして建築家が招かれるのですが、建築の話は一切せずに、好きな本についてひたすら語ります。一人の建築家が紹介する本のテーマはばらばらだけど、話を聞いているうちになんとなく全体がつながってくるのだそうです。
倉方さんは建築とは建築物や建物とは違うものであり、建築家が世界をどう捉えるか、そしてそれをどう世界に投げ込んでいくか。ということであり、そうした自分なりの世界観をつくるのに本はすごく役立つということを語られました。私も昆虫、植物、宇宙などの自然科学系の本から様々なマンガまで様々な本をテーマからすると無秩序に読みますが、不思議と自分の中ではその一つ一つがつながっています。あとはそれをどう世界に投げ込んでいくのかというところですが…。



建築をどう見るのかという点に話は進みました。
これは、倉方さんの研究室に事前打合せと称して遊びに伺った際に出た話とつながるのですが、花の形を観察するときに花だけを見ていたのではその形の意味がわかりません。しかし、その花に昆虫がやってくるととたんにその形の意味が見えてきます。例えば、蜜を吸う昆虫に花粉が必ず付着するような花の形であったりなど、昆虫と花の関係性の中でその意味がわかるのです。建築も同じようにその建築があ場所に行って、その建築を見てみるとそこで生活する人との関わりから建築の意味がわかってくるのだそうです。
「建築物」が「buildings」と数えられる名詞であるのに対して、「建築」は「architecture」と数えられないもの、すなわち抽象概念です。その抽象概念である建築の読み解き方の一つが建築史であるのだそうです。「建築物」としてではなく「建築」としてみる。そういう視点でまちを見てみるともっと楽しめると語られました。



語りの時間の後は恒例(?)のアフターカフェぺディアです。今回は多くの建築家の方々が夜遅くまで語りあいました。残念ながら私は風邪をこじらせてしまい声が出なかったため、話を聞くだけでしたが・・・。次回は大いに語り合いたいと思います。

2011年1月6日木曜日

報告書 第三十三夜「”翡翠(ひすい)”のロマン~東洋の宝石の謎を追う!」

年が明けてしまいましたが、昨年10/25(月)にいのちのたび博物館の森さんを語り手に「ヒスイ」をテーマに開催したカフェペディアの報告させていただきます。

正直言って私、学生時代には地学はいまいち興味が湧かない分野でした。実物を見たこともない岩石の名前を覚えるのが苦手でしかもどうも地味なものに感じていたからです。しかし、社会人になってこれまで興味があった生物や生態系についてさらに学び、理解を深めていくにつれて、実は生物や生態系は地球そのものと深くつながっていることに気づき、非常に地学を含めた地球科学に興味を持つようになりました。今回のカフェペディアはそんな私の興味関心の中でまさにタイムリーなテーマで開催されたものでした。


さて、会場のcreamに現れた今回の語り手、森さんのバックパックから取り出されたのは・・・巨大な岩が二つ。しかもかなり重い・・・。今までカフェペディアの会場に持ち込まれた展示物としては最重量物ではないかと思われます。確かに、森さんには「会場にヒスイを持ってきていただければ非常にイメージが湧きやすいです。」とはお願いしたもののこんなに重いものだとは知らず・・・。森さん申し訳ありませんでした。しかし会場入り口のテーブルに置かれたヒスイが目を引かないわけはなく、来場者のみなさんはペタペタとヒスイを触っておりました。

さて、いよいよこのヒスイについてのお話がスタートです。
カフェペディアの告知の際には「鉱物、ヒスイ」と書いたのですが、実はヒスイは少々違いまして。例えばダイヤモンドの宝石は一つの鉱物を磨いて宝石にしているわけでありますが、ヒスイはヒスイ輝石を主として様々な鉱物が集まった岩石を磨いて宝石にしたものなのです。ですから、厳密にはヒスイは鉱物ではなく岩石であったのです。で、様々な鉱物が集まってできた岩石ですから、交じり合ったものによっていろいろな色のヒスイが出来るわけです。このようなこと考えたこともありませんでした。確かに一つの鉱物でできた宝石であれば多様な色が出るわけもなく、多様な色ができるのはいろいろなものが交じり合っているからだということは確かにその通りです。きらきらしていれば宝石だと思っていた私にとっては、今まで宝石に対して非常に失礼であったと反省しました。

さてこのヒスイ、世界中における産地はなんとダイヤモンドより少ないのです!主要な産地はミャンマー北部、中米グアテマラ、カザフ地方、そして日本なのです!しかも日本には多数のヒスイの産地があるそうなのです。資源がないと言われる日本で宝石が採れるなんて思ってもいませんでした。


で、様々な日本のヒスイ産地の写真を見せていただいたのですが・・・。何の変哲もない山間部を流れる渓流の写真を森さんは「これとこれがヒスイで、ここは石灰岩ですねー」と指差して解説するのですが、私も含め会場の参加者は「・・・。」です。違いがわかりません。同じ風景でも見方と言うか、見る人によって見い出せるものが違うんですね。確かに私も昆虫が写っている草むらの写真を「こことここにいるよねー」っと自慢げに見せても、反応が「・・・。」の時が多々あります。当たり前のことかもしれませんが見る側の興味関心が違えば同じ風景でも見え方が違うんですね。そう思うと我々の身の回りは発見と驚きに満ち溢れているわけです。

話はヒスイの紹介から、そもそも岩石学の世界とはという内容へと進みました。
「岩石学の目指すもの、それは陰陽五行の思想に通じる」と語る森さん・・・。
どうつながるのだろう?ってのが私の正直な感想でした。


陰陽五行では木、火、土、金、水はどれも不変ではなく変化していくものとされています。すなわち万物は流転していくのです。
岩石も同じく不変ではない!
マントル→火成岩→砂や土→堆積岩→変成岩→マントル
などと長い時間をかけて変化していくわけです。
岩石がどのように、どれだけの時間をかけて変化していくのか、それにより地球の姿を考えようというのが岩石学なのです。
私、森さんのこの解説を聞いて

最初に森さんが「岩石学っていうのはありふれた非日常なんですよね。みんな岩石の上に住んでいる。でも普段はそれに気づかないんですよね」っと、さらっと言われていたことと、何の変哲もない山間部を流れる渓流の風景から岩石を見出す森さんの視点が私の中でつながり、おおーっとなんともいえない感動を感じてしまいました。

私も好奇心旺盛な方で土の中の小さな虫から宇宙の起源まで興味がありすぎるくらいあるのですが、そんないろいろなことを興味を持って考えていると、私たちが生きるこの世界は捉える空間的、時間的スケールこそ違えども、何か一つの大きな流れがあるように感じてしまう瞬間があります。今回の森さんの話を聞いていてその瞬間を感じてしまいました。

さて、岩石を知ることで地球の姿を考えるのが岩石学ですが、人間の寿命に比べて、岩石や地球の変化の時間はあまりにもゆったりとしていてその変化を見出すは非常に困難です。では岩石学ではどのようにしてその時間の壁に立ち向かうのか?「逆問題を解く」と森さんは言われました。これはどういうことかと言うと、例えば7+2=?という問題であれば答えは9とすぐにでますが、a+b=9という問題でaとbが何であるかを知るためには与えられた式が一つではわかりません。ここにa-b=5というもう一つの式が与えられればaとbを導き出すことができます。


岩石学も同じようにいろいろな岩石を調べ、いろいろな人の研究と比べることで、その岩石の謎が解き明かされていくわけであります。そしてその謎解きは決して一人ではできないのです。地球の謎に人類が協力して取り組む。このことに私、管理人はこれまたすごく熱くこみ上げてくるものを感じました。

こうして岩石学では様々な人々が時には協力し、時には競い合いながら地球の謎に迫っていくわけですが、ヒスイはその中でもその起源を調べることが最高クラスに困難なものなのだそうです。なぜかというとそもそも見出されるヒスイのサンプルパターンが少ないからなのだそうです。つまりa+b=9のaとb
を知りたいのだが、a+b=9の式しか見つからないわけです。こうした困難の中でヒスイの起源については現在大きく二つの説があって、一つは岩石がその成分の入れ替えによってヒスイになるという交代説、もう一つは水分から水あかのようにできるという沈殿説です。どちらの説も一長一短があって、交代説ではどんな岩がどのような過程でできるのかという証拠が見つかっていないということ、沈殿説では水はどこにでもあるのだから、ある場所にだけヒスイができるという珍しさを説明できない。と、未だにどちらの説も決定打に欠けているわけです。


森さん曰く、地球の奥深くで起きていること、人間の目で見ることができないこと、それをどうにかこうにか説明しようというところがおもしろい!

これまでカフェぺディアで様々な語り手の方々の世界に触れ、思ったことは人間は目に見えないことでも「考える」という能力を使って知ることが、知ろうとすることができるんですね。これが人間のおもしろさであると私は感じています。そしてその「考える」能力があるかぎりはこの世界は発見と驚きに満ち溢れ、決して退屈することはないんだろうなーと、森さんのお話を聞きながらぼんやりと思いました。


いつものようにカフェペディア本編(?)の後はアフターカフェペディア(こちらのほうが本編でしょうか・・・)でたっぷりと岩石の世界について語り合いました。森さん、遅い時間までお付き合いいただきありがとうございました。いのちのたび博物館で開催されるオルメカ文明展のヒスイの仮面、ぜひ見に行きたいと思います。