Cafepedia(カフェぺディア)とはcafe+encyclopedia(百科事典)を合成したもので、「百科の学術」つまり生物や物理、文化や社会、芸術や音楽…etc様々な「科学」をキーワードに、様々な方々を語り手に迎え、知的好奇心をくすぐる様々な話題をつまみにして、おしゃれなカフェで飲み物を片手に楽しい時間をすごそうという企画です。

カフェに参加している人だけでなく、その場に居合わせたお店のお客さん全員が、「科学」の話をBGMにお酒を楽しめるような雰囲気を生み出す。科学夜話”Cafepedia(カフェペディア)”はそんな粋な空間を目指しています。

2009年12月8日火曜日

報告書 第二十二夜「チンパンジーからヒトをみる」

 11月15日(日)、京都大学霊長類研究所の友永雅己さんを語り手に迎え、科学夜話Cafepedia第二十二夜を行いました。


 これまでの私の偏った認識では霊長類研究所&チンパンジーといえば、コンピュータ画面の前で出される課題をクリアするチンパンジーのアイであり、「チンパンジーがどれだけ頭の良さを研究している。」と思っていました。が、今回のカフェぺディアで友永さんのお話を伺い、そのが全く間違っていたことを認識しました。

 研究の目的は「ヒトの心はどのように進化してきたか?」という所にあります。
 進化の過程で500~600万年前に枝分かれしたチンパンジーの「心」を調べ、その共通点を知ることで共通祖先の「心」を知ることができるのです。

 ここで疑問です。「心」とはいったい何だろう…?
これを誤解すると霊長類研究所での研究を大きく見誤ってしまうような気がしました。


 広辞苑によると「心」はいろいろな意味が挙げら得ていますが、「人間の精神作用のもとになるもの、その作用」、続けて「知識・感情・意志の総体」とあります。今回のカフェペディアでの話しを聞く前なら、ふむふむそうかと納得してしまいますが、この広辞苑の意味ではいまいち自分の中でしっくりきません。

 「ヒトとチンパンジーの”心”は系統発生的な流れでつながっている。また、ヒトとイルカの”心”が似ているとすれば、それは同じような環境圧の中で発達してきた多様性の収斂である。」という友永さんの表現で”心”の定義がぼんやりと浮かんできました。

 「チンパンジーに心がある、イルカに心がある」と言うと多くの人は人間と同様に捉えて、チンパンジーやイルカがどう考えているのか知りたいと思ったり、彼らに人間である自分の感情や思考を反映させてしまいます。
 霊長類研究所での研究における”心”とは生存していくための特徴の一つ、例えば足が速かったり、力が強かったりなどといった能力として理解すべきなのかなーと思います。

 自然界の中で生き残っていくために、群れを構成する戦略をとる生物にとって集団を維持することは重要なことです。しかも集団を構成する個体の寿命が長ければその群れを構成する年代も多様になり、その中で集団を維持していくためには、「他者は?自分は?」といったように関係性を維持する必要があると思います。その関係性を維持するのがコミュニケーション手段であり、さらに複雑な社会集団の中で複雑なコミュニケーションを成立させるのが”心”という能力であるのではないかと思います。
 うまく表現できてないような気がしますが、要は人間主体的な意味での”心”ではないと思います。


 チンパンジーからヒトへという進化の時間軸とは別に発達の時間軸でチンパンジーの「心」の発達を調べている話も伺いました。
 チンパンジーの子どもは成長するにつれて、ほほえんだり、見つめあったり、視線を追ったりするようになりますが、私とあなたのコミュニケーションを超えることはないそうです。
 ヒトは他人が何を考えているのか想像します。これはヒトに特有の能力でああるようです。つまりは他者が”心”を持つ存在であるという認識があるというわけです。
 
 それでは他者の”心”を知ろうとすることができない(する必要がない?)チンパンジーは私、つまり自己の認識はあるのだろうかということで、チンパンジーに鏡を見せる実験の紹介がありました。チンパンンジーの額におしろいを塗り、鏡を見せると、ある程度成長したチンパンジーは鏡に見ながら額についたおしろいをとろうとします。つまりは鏡に映ったものが自分であるという認識があるということです。

 ふと思いました。自己の認識のない生物はいるのだろうか?自己認識がないとはどういう感覚なんだろう?自己認識がないということは自然の流れとの一体化?無為自然ということでしょうか?自己認識のない生物は無為自然の境地にいるということ…?などとあらぬ方向へと思考が巡っていきました。


 人間は群れで生活をしなければならなくなり、個体間の関係を解決する。他人と付き合うための能力として"心”を発達させてきた。これは社会的知能仮説というそうです。群れで生活する生物は人間以外もいます。群れの大きさだって人間以上の大きさをつくるものだっています。例えばアリとか?(アリは血縁関係で結びついているから、ちょっと違うかな・・・。昆虫を見てると”心”がないほうが群れの統率はうまくいくような気もします。)
 その中でなぜ人間はこれだけややこしい”心”になってしまったのか?そうなる必要性はどこにあったのか?これって過剰進化なのでは?いやいや、過剰に発達した脳の副作用ではないか?本当は群れを維持するのに”心”という能力は必要なかったりして…。などといろいろと考えてしまいました。これも”心”の作用かな?


 今回の話の最初に、「チンパンジーの”心”を研究するにあたっては、まず第一にチンパンジーが群れの中で生活している。つまりできるだけ自然に近い状況で暮らしていなければならない。そうでなければ健全なチンパンジーの”心”の状態は調査できない。」と語っていただきました。

 最近、人間生活において心の病というものが増えているのは、健全な生活、社会ができていないからなのかもしれません。しかしながら、現代の社会システムのあり方が人間の生存戦略であるのであれば、その社会システムに我々の”心”は適応していくのかもしれません。その適応方法とは?もしかするとSFでよく描かれているような”自己”、”他者”がない存在になるのかも・・・などとあらぬ方向へと思考が走ってしまいました。

 今回のカフェペディアのテーマは”心”というもっとも身近で、もっとも不明な存在であったが故に、自分の中でもいろいろと考えることがあり、さらに”心”というものがわからなくなってしまいました。”心”を考える本体が"心”なんだからわからなくって当たり前かもしれません。っと、こう書いていて”心”の定義があやふやになってしまいました。今回の報告書も非常に難解なものになってしまいました。

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