8/26(木)に帝京科学大学アニマルサイエンス学科の藪田さんを語り手に向え、「エソロジー=動物行動学」をテーマにカフェペディアを開催しました。

私が最初に「動物行動学」という言葉に出会ったのは、確か高校時代に読んだコンラート・ローレンツの著書「ソロモンの指輪」です。この本を手に取ったのは動物行動学に興味があった!のではありません。当時、「指輪物語」(映画、ロードオブザリングの原作です。)や「ゲド戦記」などのファンタジー小説にはまっていた私は動物と話せる不思議な指輪、「ソロモン王の指輪」を冠する本(しかもファンタジー小説をたくさん出版している早川書房です)をファンタジー小説だと勘違いして図書館で借りたわけですが、もちろん内容はまったくファンタジーではありませんでした。しかしながら丁度、生物の授業で出てきた「刷り込み」という用語が、「ソロモンの指輪」の中ではコンラート・ローレンツ博士が動物たちとの生活を通じた体験からどうやって見出され、理論となったのかがファンタジー小説以上にわくわくさせる展開で書かれていて、教科書の中の「刷り込み」という「用語」が私の中で奥行きのある「言葉」として理解されたことが強く印象に残っています。
出だしから私的な思い出話になってしまいましたが、今回の藪田さんにはチョウチョウウオの行動観察を通じて、発見した理論を話していただいたのですが、「なるほどそういう理論なんだ」という面白さの部分もありましたが、それ以上に私は藪田さんという人がその理論にたどり着くまでの物語を堪能した!という感じがすごく面白く感じました。それはまさに「ソロモンの指輪」を読んだときの感覚と同じだったのです。
と、いきなりまとめっぽいことを書いてしまいましたが、報告を続けます。
まずは動物行動学(エソロジー)とは何か?
動物の行動を研究する生物学である。
さらに言うなれば、自由な生活をする動物の自然の行動を研究する学問であります。
で、その根底にあるのは全ての動物はそれぞれ固有の行動をもち、それらは遺伝的である。ということは、種に固有の行動は進化の産物である。つまりは行動も遺伝し、それは進化の産物であるという考えにたどり着きます。
さらっと書きましたが、これってよくよく考えると思考のブラックホールに引き込まれていきます。私の中でも「行動は遺伝するのか?」という点は、その話題をツマミに一晩どころか一生、語れるのではないかと思うほど、深い問いです。
そんな深い問いへと迫る方法の一つが動物行動学なのであります。
藪田さんは沖縄の海に潜る日々の中(?)でチョウチョウウオがいつも二匹で泳いでいて、しかもそれが雄雌のペアであることに気づき、チョウチョウウオが一夫一妻であるのではないかと思うわけですが、それを調べるためにはさてどうすればよいか?
二匹を追いかけて産卵するのを目撃する!これこそが確実な証明になるわけです。
といっても水中を自由自在に泳ぐチョウチョウウオを探偵のごとく、相手に気づかれることなく尾行し、証拠現場を押さえるわけですから、そこには並々ならぬ苦労があるわけです。
最初に追っかけていたのはフウライチョウチョウウオなのですが、この種は浅瀬から深い外海まで泳ぎまくるため追跡はかなり困難で、2年間追っかけても成果はゼロ。そこで相手をミスジチョウチョウウオに変えたらなんと次の日に一夫一妻での繁殖行動を目撃!
藪田さん曰く、「フィールドワークは運!」だそうです。
が、”運”というやつはただ待っていてもやってくるわけではないと思います。宝くじも買わないと当たりません。私も時々、昆虫写真を撮りに野外を歩くわけですが、ただ歩いていても、おおーっという出会いはなく、かといってがつがつ探していても出会うことはめったにありません。一生懸命目当ての昆虫を探していて、結局見つからずに、今日はだめだなーと思いながらの帰り道に目当ての昆虫ではないけど別の魅力的な昆虫に出会い、ラッキーということがよくあります。といっても野外をうろついていなければ出会わなかったわけだし、たまたま出会った昆虫に魅力を感じなければ、ラッキーとも思わなかったわけだし、要は、そこらに転がっている運を捉えることが出来る感覚を磨き、そして広げていることが運に出会うことなんじゃないのかなーと思います。と、話が思いっきりそれた感じがありますが、藪田さんがミズジチョウチョウウオの繁殖行動を目撃できたのは、その前にミスジチョウチョウウオの個体識別を行っていたからこその”運”であるのだと思います。

さて、フウライチョウチョウウオでは繁殖行動の目撃ができず、なぜミスジチョウチョウウオは目撃できたのか?さらに目撃を重ねていくと、ミスジチョウチョウウオは外海に出ないで浅瀬で産卵している。さらにある特定の場所でよく産卵するということに藪田さんは気づきます。そこででてくる疑問はなぜそこが産卵の人気箇所なのか?その周辺の潮流を調べると、その産卵人気スポットは外海へ向う流れが生じる場所であることがわかります。生んだ卵を天敵の少ない外海に早く流れ出すため、外海へと潮が流れる場所が産卵の人気スポットとなるわけです。と、さらっと書きましたが、この発見にたどり着くまでの嵐の海でのかなり危険な調査エピソードが語られたのですが、私のつたない文章ではそのどきどきわくわく感が伝わらないので書かないことにします。
さて、チョウチョウウオは一夫一妻ばかりかというとそうではなく、ヤリカタギというチョウチョウウオの仲間は一夫多妻なのだそうです。このヤリカタギの調査時にも、雷の鳴る暗闇の海で金属製ボンベを担いだ調査という恐怖の体験を明るく語っていただいたのですが、それも私の文章では表現できないので書かないことにします。

さて、一夫一妻の証拠現場を押さえられたミスジチョウチョウウオですが、彼らは2匹が出会うと「体をS字に曲げて、相手に体の側面を見せて、頭を下げる」というディスプレイ行動を行います。で、このディスプレイ行動には一連の流れがあって、相手が近づいてくる→ディスプレイする→相手はディスプレイし返す。というパターンになるのですが、ディスプレイした相手がディスプレイし返さなかった場合は攻撃を始める、もしくは逃げ出す行動をとることが観察されました。で、一夫一妻のパートナー同士であればもちろん攻撃しないはずなのですが、時たま攻撃するということがあったそうです。そこで、パートナーを攻撃したのはパートナーを見間違えたからだと仮説を立て、間違える確率を「どちらが間違えるのか」とか「どの方向から近づくか」などといった要因を組み入れて数式化し、実際の観察された行動から数値を入力するとその数式が当てはまり、パートナーへの攻撃は見間違えであるという仮説が正しいらしいということがわかったそうです。
それまでの発見へいたる話が「追跡して目撃する」といったアクション映画風の展開であったのが、一転し仮説を数式化し、それを目撃と照らし合わせて証明するという「ガリレオ」(福山雅治主演でドラマ化された)ばりの推理ドラマの展開に数式を説明する藪田さんの姿が福山雅治演じる湯川准教授に見えました。一方で、行動が数式で証明されるということに納得しつつも、自然界の様々な現象を表現する数式とはいったい何者なんだろうという新たな疑問が沸き起こったりもしました。

さて、チョウチョウウオのディスプレイはパートナー間の攻撃を回避、予防するわけですが、どうしてこのような行動が生じたのか?という新たな疑問が生まれます。そこで紹介されたのが「動機付けの葛藤仮説」です。
遠くから相手が近寄ってきたとき、パートナーかどうかよくわかりません。そのとき近寄られるチョウチョウウオには「逃げたい!」という欲求と「攻撃するぞ!」という欲求が沸き起こります。どちらか一方の欲求だけが沸き起こるのではなく、相反する両方の欲求が沸き起こり、「逃げたい!」という欲求が強ければ逃げるし、「攻撃するぞ!」という欲求が強ければ攻撃することになるのですが、それでは両方の欲求が同じであればどうなるか、葛藤に葛藤し・・・「ディスプレイ」するという行動にでるわけです。ディスプレイで時間稼ぎをすることで、相手の行動を量ることができるわけです。極端に白黒つける行動をとるのではなく、その間の行動をとる。それがディスプレイという行動を進化させていったというわけです。
この話の途中で藪田さんがおもむろに紹介した言葉がこれです。
「Yes or Noとせまられたら、胸を張って”Or!”と答えればいいんです!」
落語家の立川志の輔さんが普天間基地の問題に対して語った言葉だそうです。
日本社会に生きる人間としてこの言葉はしっくりきます。
相手のこととか自分のこととかいろいろ考えると全体的にしっくりくる答えは”Or”だよなーっということは多々あります。

藪田さん曰く、進化とは完全に合理的なものかというと、そうではなくて不合理なものの上になんとか合理的なものを積み上げているようなもので、それがまた不合理になればさらになんとか合理的なものを積み重ねていく。それが進化。だからこそ”Or”=ディスプレイという行動も進化していくのです。
「不合理の上に合理を積み重ねていく、これの繰り返し。」何が合理的で何が不合理かという判断の尺度は抜きにして、すごくわかります。私は骨格標本作りをやることがあるのですが、生物の体は進化の過程で先祖となる生物の体をベースに変化が生じていくわけですが、様々な骨を見るとうまく体をつくっているけど、けっこう無理しているなーと思うことが多々あります。ハトの骨格を見て、ペンギンやダチョウの骨を見るとせっかく空を飛べる骨格になったのに、なんで無理してこんな体にしたんだろう?でもうまい具合にやってるなーとつくづく思います。様々な哺乳類の骨格を見ると人間の骨格なんて、不合理すぎです。
生息環境が寒ければ毛深いほうが合理的であり、暑くなれば毛深いのは不合理です。何が合理的でなにが不合理かはその時々で変化するわけであって、その時々で合理的を追求しすぎてしまうと変化に対応できなくなります。不合理をたくさん抱えているほうが環境の変化に対応できる可能性が高く、変化する環境の中では不合理こそが合理的なのでは・・・何を言っているか分からなくなりました。
体の構造と同様に行動も進化するものであるのであれば、変化する環境に適応するため不合理を抱え込む行動、”Or”の行動が生まれるのは納得であります。
こうやって報告書を書いていると、頭の中ではなんとなくわかっているのですが、きちっと合理的な文章としてなかなか表現できません。が、胸を張ってこう書きたいと思います。私の文章は”Or”なんです。なんかうまく自分の文章のつたなさをごまかしたような気がしないでもありませんが・・・。
語りの時間終了後はアフターカフェペディア、経験、話はあっちこっちへと流れながら、本編の語りに加えてさらに私は深~い、深~い思考へといざなわれていきました。

追伸
藪田さんから会場でも紹介がありましたが、様々な動物の行動の映像をみんなで投稿し、共用しようという動物行動の映像データベースhttp://www.momo-p.com/があります。いろいろな動物のいろいろな行動を見ることができます。私も自然教室の子どもたちと動物行動を撮影し投稿したいと思います。みなさんも見るだけでなく撮影&投稿してみましょう!
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