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2011年7月1日金曜日

報告書 第三十六夜 「アングラズーラシア ~動物園のアートな挑戦~」

1月28日に開催した第三十六夜の報告書です。
横浜市立よこはま動物園ズーラシアの長倉かすみさんを語り手に迎え、開催しました。



日本には動物園と呼ばれる場所が300あるそうです。

そもそも動物園とは何ぞやということですが、

「野生動物を飼育して、一般公開している場所」

ですが、それだけでは言い方は悪いですが「見世物小屋」となんら変わらないでしょう。

現在、多くの動物園では教育活動に力を注いでいます。
と言っても、動物園によってその教育活動の方向性、方法は様々です。

動物園における教育活動を特徴づけるのは

動物の展示方法
展示している動物の種類
そしてそこで働く人

だそうです。

長倉さんのフィールドであるズーラシアは

展示方法としては本格的な生息環境展示を行っています。生息環境展示とは動物が本来の生息環境にいるところを見てもらうとともにその環境も見てもらうという展示方法ですが、私もズーラシアに来園した際に生息環境展示のスケールの大きさ、内容の徹底振りに衝撃を受けました。

広大な園内はそれぞれの動物が生息する地域ごとにゾーニングされ、それぞれのゾーンはその地域の気候風土をイメージしたデザインになっています。

熱帯雨林のゾーンの園路を歩いていると植え込みから霧が湧き出してきたり、南米地域のゾーンでは園路脇にオルメカ文明が栄えた地域で見られる人の頭の石像が転がっているなど、動物が展示されている場所以外にもこだわりがあり、園路を散策するだけでもいろいろな発見があります。周辺の雰囲気から作りこまれている点は動物園界のディズニーランド(?)という感じです。

さらに、環境の雰囲気を大事にするためお来園者からスタッフが見えないように裏側を通るなどしているそうです。


この徹底した生息環境展示にも、動物や飼育員と来園者との距離が遠くなってしまうというデメリットがあるそうです。

そして、ズーラシアでの展示動物ですが、オカピやテングザルなどの絶滅危惧種の展示が中心になっているそうです。逆に言うと一般にお馴染みの動物はあまり飼育されていないそうです。

ズーラシアはとても個性ある動物園ですが、その個性ゆえに来園者からは

キリンはいないんですか?

餌をあげられる動物はいますか?

動物に触れる場所はありますか?

などの問い合わせがあるそうです。

そこでズーラシアでは「触る」以外の感覚で動物とふれあうことはできないだろうか?といろいろな取り組みを通じて、動物を介して環境をテーマとして人が主体的に参加する場所としての可能性を探っているそうです。その取り組みをいろいろと紹介していただきました。


“なまけものLIFE“

ズーラシアにはナマケモノはいないのですが、来園者自身にナマケモノになってもらおうという企画で数名の怪しげな動きをするナマケモノパフォーマーが来園者を巻き込み、ナマケモノのスローな生活を体感してもらおうという取り組みです。


“ズーラシアの音楽”

アーティストが様々な動物の前でピアニカをならし、動物の反応を引き出して行き、ともに作曲していきます。言葉にたよらない感覚でのコミュニケーションをどう生み出し、感じていくかという取り組みです。ピアニカの音に合わせて鳴くサル(ドゥクラングール?)の声と表情が印象的でした。



音楽は動物にさわれなくてもできるコミュニケーションで、しかもヒトにも動物にも絶対的な答えがなくお互いに模索していくことが出来ることが重要ではないかと長倉さんは語られました。

ふと考えたのはヒトはペットやはたまた植木鉢のサボテンに話しかけたり、さらにはゲーム上のキャラクタと会話したりと、自分と異なる種の生物(生物にかぎりませんが)と積極的にコミュニケーションをとろうとします。ヒト以外の生物ではそのような欲求を持つ生物はいるのでしょうか?ペットを飼育した経験のある方々は迷わず、動物はコミュニケーションをとろうとしていると答えるでしょう。ペット飼育経験のない私には動物は単に環境に作用し、その効果を計っているだけではないかと、ひねくれた考えが浮かんできます。・・・そもそもコミュニケーションとはなんだろう?とわからなくなってしまいました。


“ぞうきんオカピ”

ズーラシアでは実際に動物に触れることが出来ないので、ぞうきんでつくったオカピに触れてみようという取り組みです。ふれあいが活発になるほどぞうきんオカピがぼろぼろになっていくという点が実際の動物にふれあうことと重なってなんとなく考えさせられました。


“アニマルフォトボード”

来園者が写真を撮るボードで、観光地などによくあるやつを動物園らしいデザインでつくってみようという取り組みです。ズーラシアでは来園者が関わることで完成するデザインにしようという発想でフォトボードをデザインしていきました。例えばインドゾウのパネルでは来園者が象と綱引きをしているような写真を撮ることができます。来園者が動物とこういうことをやってみたいと思うだろうなーということをフォトパネルで可能にするわけです。


その他にもさまざまな個性的な取り組みを紹介していただきました。これらの取り組みは動物園から発信するメッセージであり、メッセージを伝えていくためにの様々なデザインが組み込まれています。長倉さんは3つのデザインをあげられました。

体験のデザイン

余白、包容力のあるデザイン

インタラクティブなデザイン

これらのデザインをズーラシアではアーティストと飼育スタッフのディスカッションで実現させていったそうです。

デザインを実現させていく過程にもコミュニケーションが必要であり、その過程そのものがデザインといえるのではないかと思います。


さてさてこれらの取り組みは動物園の教育活動として展開されていったのですが、いったい動物園における教育とは何を目標とするものなのでしょう。そのあたりを最後に語っていただきました。



動物園は生き物を飼育する場所です。そこでは新しい命の誕生とともに死も日常の出来事です。ズーラシアでは開園から10年、動物園で生まれた命は582、無くなった命は515だそうです。動物園は同じような割合で生と死に出会う場所です。

長倉さんに見せていただいたVTRにはガンで弱ったハリネズミの様子が映し出されていました。そして、こう問いかけました。「このハリネズミに対してみなさんはどうしますか?」

できるかぎり延命治療をする

何もせずに自然に最後を迎える

安楽死

会場のみなさんはそれぞれの答えがあるでしょう。

さらに長倉さんは続けます。

動物園の教育、動物園らしい教育とは命が響きあう教育である。

動物園は生き方を考える場所でありたい。答えのないことを考え始めるきっかけ

大切なのは正解を決めることではなく、事実を知って、自分なりの考えをもつこと。

「自分なりの考えをもつこと」

私もとても大切なことだと思います。

今回の長倉さんの話を伺い、こう考えました。

自分なりの考えをもつには多くの人や出来事とコミュニケーションをとる必要があります。自分の中だけで悶々と考えているだけでは自分なりの考えにたどりつくことはできないと思います。さらに常にコミュニケーションを続けていれば、自分なりの考えも常に変化していきます。そうなるときっちり固まった、永遠普遍の自分なりの考えはありえないことだと思います。大切なのは自分なりの考えを持とうとする姿勢、そのために他者とそして自分自身と対話を続けることなのかもしれません。

そう考えると様々な取り組みを実現化させるために、ズーラシア、長倉さん、そして多くの人が行ってきた試行錯誤の過程そのものが、動物園の教育なのではないのかなーと思いました。


2011年最初のカフェペディア、自分自身に置き換えていろいろと考えさせられた夜でした。

長倉さん、体調不良にも関わらず、熱い思いのこもった語りをありがとうございました。

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