もう12月です。2009年もカフェペディアを通じて、いろいろなテーマに出会うことが出来ました。
今年最後の開催となるカフェぺディアのテーマは「臨床心理学」!
語り手は菊池 悌一郎さんです。
前回のカフェペディアではチンパンジーとヒトの比較を通じて「心」をキーワードに話が展開しました。
今回は「心」を臨床心理学の世界から覗いてみたいと思います。
私、管理人ですが、臨床心理学と言えば、フロイト、ユング・・・程度しか知りません。というより、その言葉は知っていますが、内容はというと「?」です。
今回は、”知の巨人”と呼ばれるグレゴリー・ベイトソンの思索をたどり、臨床心理学の世界に触れてみます。
グレゴリー・ベイトソンという方ですが、今回の語り手の菊池さんから、お伺いするまで全く知りませんでした。著作には「精神の生態学」、「精神と自然」などがあるのですが、タイトルからして、生物系好きの管理人はかなり惹かれています(未読ですが・・・)。
今回も好奇心が燃える熱い夜になりそうです。
第二十三夜 「知の巨人、ベイトソンからはじめる臨床心理学超入門!」
語り手 菊池 悌一郎さん
(九州工業大学保健センター准教授 臨床心理士 )
開催日時 平成21年12月17日(木)
18:00開場~、19:30語り手の話~、20:30フリータイム~
「語り手の話」前後には語り手とのフリートークをお楽しみください。
※カフェでの飲食について
18:00~19:00 自由に食事をお楽しみください。
19:30~20:30 ドリンクのみご注文できます。
20:30~ 自由に食事をお楽しみください。
飲食メニューについては後日、改めてお知らせします。
お楽しみに!
参加費 無料(飲食については各自でお支払いください。)
場 所 「cream」
北九州市小倉北区馬借1丁目15-8藤本ビル1F
TEL093-533-3311
http://www.cream-colony.com/
座席などの準備のため、事前におおよその参加人数を把握必要があるため、現段階で参加します。という方は12/15日(火)までにpost@cafepedia.net 担当 梅野 までご連絡ください。
連絡なしでも参加できますので、「急に時間が空いた!」、「今日はちょっと寄り道して帰ろうかな・・・」などなど、お気軽にご参加ください。
2009年12月8日火曜日
報告書 第二十二夜「チンパンジーからヒトをみる」
11月15日(日)、京都大学霊長類研究所の友永雅己さんを語り手に迎え、科学夜話Cafepedia第二十二夜を行いました。

これまでの私の偏った認識では霊長類研究所&チンパンジーといえば、コンピュータ画面の前で出される課題をクリアするチンパンジーのアイであり、「チンパンジーがどれだけ頭の良さを研究している。」と思っていました。が、今回のカフェぺディアで友永さんのお話を伺い、そのが全く間違っていたことを認識しました。
研究の目的は「ヒトの心はどのように進化してきたか?」という所にあります。
進化の過程で500~600万年前に枝分かれしたチンパンジーの「心」を調べ、その共通点を知ることで共通祖先の「心」を知ることができるのです。
ここで疑問です。「心」とはいったい何だろう…?
これを誤解すると霊長類研究所での研究を大きく見誤ってしまうような気がしました。

広辞苑によると「心」はいろいろな意味が挙げら得ていますが、「人間の精神作用のもとになるもの、その作用」、続けて「知識・感情・意志の総体」とあります。今回のカフェペディアでの話しを聞く前なら、ふむふむそうかと納得してしまいますが、この広辞苑の意味ではいまいち自分の中でしっくりきません。
「ヒトとチンパンジーの”心”は系統発生的な流れでつながっている。また、ヒトとイルカの”心”が似ているとすれば、それは同じような環境圧の中で発達してきた多様性の収斂である。」という友永さんの表現で”心”の定義がぼんやりと浮かんできました。
「チンパンジーに心がある、イルカに心がある」と言うと多くの人は人間と同様に捉えて、チンパンジーやイルカがどう考えているのか知りたいと思ったり、彼らに人間である自分の感情や思考を反映させてしまいます。
霊長類研究所での研究における”心”とは生存していくための特徴の一つ、例えば足が速かったり、力が強かったりなどといった能力として理解すべきなのかなーと思います。
自然界の中で生き残っていくために、群れを構成する戦略をとる生物にとって集団を維持することは重要なことです。しかも集団を構成する個体の寿命が長ければその群れを構成する年代も多様になり、その中で集団を維持していくためには、「他者は?自分は?」といったように関係性を維持する必要があると思います。その関係性を維持するのがコミュニケーション手段であり、さらに複雑な社会集団の中で複雑なコミュニケーションを成立させるのが”心”という能力であるのではないかと思います。
うまく表現できてないような気がしますが、要は人間主体的な意味での”心”ではないと思います。

チンパンジーからヒトへという進化の時間軸とは別に発達の時間軸でチンパンジーの「心」の発達を調べている話も伺いました。
チンパンジーの子どもは成長するにつれて、ほほえんだり、見つめあったり、視線を追ったりするようになりますが、私とあなたのコミュニケーションを超えることはないそうです。
ヒトは他人が何を考えているのか想像します。これはヒトに特有の能力でああるようです。つまりは他者が”心”を持つ存在であるという認識があるというわけです。
それでは他者の”心”を知ろうとすることができない(する必要がない?)チンパンジーは私、つまり自己の認識はあるのだろうかということで、チンパンジーに鏡を見せる実験の紹介がありました。チンパンンジーの額におしろいを塗り、鏡を見せると、ある程度成長したチンパンジーは鏡に見ながら額についたおしろいをとろうとします。つまりは鏡に映ったものが自分であるという認識があるということです。
ふと思いました。自己の認識のない生物はいるのだろうか?自己認識がないとはどういう感覚なんだろう?自己認識がないということは自然の流れとの一体化?無為自然ということでしょうか?自己認識のない生物は無為自然の境地にいるということ…?などとあらぬ方向へと思考が巡っていきました。

人間は群れで生活をしなければならなくなり、個体間の関係を解決する。他人と付き合うための能力として"心”を発達させてきた。これは社会的知能仮説というそうです。群れで生活する生物は人間以外もいます。群れの大きさだって人間以上の大きさをつくるものだっています。例えばアリとか?(アリは血縁関係で結びついているから、ちょっと違うかな・・・。昆虫を見てると”心”がないほうが群れの統率はうまくいくような気もします。)
その中でなぜ人間はこれだけややこしい”心”になってしまったのか?そうなる必要性はどこにあったのか?これって過剰進化なのでは?いやいや、過剰に発達した脳の副作用ではないか?本当は群れを維持するのに”心”という能力は必要なかったりして…。などといろいろと考えてしまいました。これも”心”の作用かな?

今回の話の最初に、「チンパンジーの”心”を研究するにあたっては、まず第一にチンパンジーが群れの中で生活している。つまりできるだけ自然に近い状況で暮らしていなければならない。そうでなければ健全なチンパンジーの”心”の状態は調査できない。」と語っていただきました。
最近、人間生活において心の病というものが増えているのは、健全な生活、社会ができていないからなのかもしれません。しかしながら、現代の社会システムのあり方が人間の生存戦略であるのであれば、その社会システムに我々の”心”は適応していくのかもしれません。その適応方法とは?もしかするとSFでよく描かれているような”自己”、”他者”がない存在になるのかも・・・などとあらぬ方向へと思考が走ってしまいました。
今回のカフェペディアのテーマは”心”というもっとも身近で、もっとも不明な存在であったが故に、自分の中でもいろいろと考えることがあり、さらに”心”というものがわからなくなってしまいました。”心”を考える本体が"心”なんだからわからなくって当たり前かもしれません。っと、こう書いていて”心”の定義があやふやになってしまいました。今回の報告書も非常に難解なものになってしまいました。

これまでの私の偏った認識では霊長類研究所&チンパンジーといえば、コンピュータ画面の前で出される課題をクリアするチンパンジーのアイであり、「チンパンジーがどれだけ頭の良さを研究している。」と思っていました。が、今回のカフェぺディアで友永さんのお話を伺い、そのが全く間違っていたことを認識しました。
研究の目的は「ヒトの心はどのように進化してきたか?」という所にあります。
進化の過程で500~600万年前に枝分かれしたチンパンジーの「心」を調べ、その共通点を知ることで共通祖先の「心」を知ることができるのです。
ここで疑問です。「心」とはいったい何だろう…?
これを誤解すると霊長類研究所での研究を大きく見誤ってしまうような気がしました。

広辞苑によると「心」はいろいろな意味が挙げら得ていますが、「人間の精神作用のもとになるもの、その作用」、続けて「知識・感情・意志の総体」とあります。今回のカフェペディアでの話しを聞く前なら、ふむふむそうかと納得してしまいますが、この広辞苑の意味ではいまいち自分の中でしっくりきません。
「ヒトとチンパンジーの”心”は系統発生的な流れでつながっている。また、ヒトとイルカの”心”が似ているとすれば、それは同じような環境圧の中で発達してきた多様性の収斂である。」という友永さんの表現で”心”の定義がぼんやりと浮かんできました。
「チンパンジーに心がある、イルカに心がある」と言うと多くの人は人間と同様に捉えて、チンパンジーやイルカがどう考えているのか知りたいと思ったり、彼らに人間である自分の感情や思考を反映させてしまいます。
霊長類研究所での研究における”心”とは生存していくための特徴の一つ、例えば足が速かったり、力が強かったりなどといった能力として理解すべきなのかなーと思います。
自然界の中で生き残っていくために、群れを構成する戦略をとる生物にとって集団を維持することは重要なことです。しかも集団を構成する個体の寿命が長ければその群れを構成する年代も多様になり、その中で集団を維持していくためには、「他者は?自分は?」といったように関係性を維持する必要があると思います。その関係性を維持するのがコミュニケーション手段であり、さらに複雑な社会集団の中で複雑なコミュニケーションを成立させるのが”心”という能力であるのではないかと思います。
うまく表現できてないような気がしますが、要は人間主体的な意味での”心”ではないと思います。

チンパンジーからヒトへという進化の時間軸とは別に発達の時間軸でチンパンジーの「心」の発達を調べている話も伺いました。
チンパンジーの子どもは成長するにつれて、ほほえんだり、見つめあったり、視線を追ったりするようになりますが、私とあなたのコミュニケーションを超えることはないそうです。
ヒトは他人が何を考えているのか想像します。これはヒトに特有の能力でああるようです。つまりは他者が”心”を持つ存在であるという認識があるというわけです。
それでは他者の”心”を知ろうとすることができない(する必要がない?)チンパンジーは私、つまり自己の認識はあるのだろうかということで、チンパンジーに鏡を見せる実験の紹介がありました。チンパンンジーの額におしろいを塗り、鏡を見せると、ある程度成長したチンパンジーは鏡に見ながら額についたおしろいをとろうとします。つまりは鏡に映ったものが自分であるという認識があるということです。
ふと思いました。自己の認識のない生物はいるのだろうか?自己認識がないとはどういう感覚なんだろう?自己認識がないということは自然の流れとの一体化?無為自然ということでしょうか?自己認識のない生物は無為自然の境地にいるということ…?などとあらぬ方向へと思考が巡っていきました。

人間は群れで生活をしなければならなくなり、個体間の関係を解決する。他人と付き合うための能力として"心”を発達させてきた。これは社会的知能仮説というそうです。群れで生活する生物は人間以外もいます。群れの大きさだって人間以上の大きさをつくるものだっています。例えばアリとか?(アリは血縁関係で結びついているから、ちょっと違うかな・・・。昆虫を見てると”心”がないほうが群れの統率はうまくいくような気もします。)
その中でなぜ人間はこれだけややこしい”心”になってしまったのか?そうなる必要性はどこにあったのか?これって過剰進化なのでは?いやいや、過剰に発達した脳の副作用ではないか?本当は群れを維持するのに”心”という能力は必要なかったりして…。などといろいろと考えてしまいました。これも”心”の作用かな?

今回の話の最初に、「チンパンジーの”心”を研究するにあたっては、まず第一にチンパンジーが群れの中で生活している。つまりできるだけ自然に近い状況で暮らしていなければならない。そうでなければ健全なチンパンジーの”心”の状態は調査できない。」と語っていただきました。
最近、人間生活において心の病というものが増えているのは、健全な生活、社会ができていないからなのかもしれません。しかしながら、現代の社会システムのあり方が人間の生存戦略であるのであれば、その社会システムに我々の”心”は適応していくのかもしれません。その適応方法とは?もしかするとSFでよく描かれているような”自己”、”他者”がない存在になるのかも・・・などとあらぬ方向へと思考が走ってしまいました。
今回のカフェペディアのテーマは”心”というもっとも身近で、もっとも不明な存在であったが故に、自分の中でもいろいろと考えることがあり、さらに”心”というものがわからなくなってしまいました。”心”を考える本体が"心”なんだからわからなくって当たり前かもしれません。っと、こう書いていて”心”の定義があやふやになってしまいました。今回の報告書も非常に難解なものになってしまいました。
2009年11月15日日曜日
第二十二夜のカフェペディアメニューです。
18:00開場~19:00開演までの間のカフェペディアメニューの発表です!
●ディナーセット \1250(1drink、プチサラダ付) 3種類よりお選びください。
・キーマカレー
・紫咲米入りえびとしめじのピラフプレート
・ベーコンとブロッコリーのトマトソース
●デザートセット \750(1drink付)
・バナナのチーズケーキ
・栗のパウンドケーキ
・クルミのガトーショコラ
これ以外のお客様はドリンクのみのオーダーとなります。また、19:00~20:30の時間帯はドリンクのみのオーダー、講演終了後は通常メニューとなります。
●ディナーセット \1250(1drink、プチサラダ付) 3種類よりお選びください。
・キーマカレー
・紫咲米入りえびとしめじのピラフプレート
・ベーコンとブロッコリーのトマトソース
●デザートセット \750(1drink付)
・バナナのチーズケーキ
・栗のパウンドケーキ
・クルミのガトーショコラ
これ以外のお客様はドリンクのみのオーダーとなります。また、19:00~20:30の時間帯はドリンクのみのオーダー、講演終了後は通常メニューとなります。
2009年11月9日月曜日
お知らせ! 第二十二夜開催!
いつも急ですが、第二十二夜開催のお知らせです。
今回は、「ヒトの心とは一体なにものか?」という問いをヒトとチンパンジーとの比較を通じて解き明かす研究を行っている京都大学霊長類研究所の友永 雅己さんを語り手にお迎えしての開催です。
「心」と言えば、一休宗純の歌「心とはいかなるものを言ふならん 墨絵に書きし松風の音」を思い浮かべます。いまだに私にとってはなんとなくわかりそうで、わからない歌です。今回のカフェペディアで「心」を知るきっかけが得られることを楽しみにしています。
第二十ニ夜 「チンパンジーからヒトをみる」
語り手 友永 雅己さん
(京都大学霊長類研究所 思考言語分野 准教授 )
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/koudou-shinkei/shikou/staff/tomonaga/indexj.html#top
http://www.jsps.go.jp/jsps-prize/data/ichiran_2nd/2_tomonaga.pdf
http://homepage3.nifty.com/~jmc/priken/yoshi47/tomonaga.html
開催日時 平成21年11月15日(日)
18:00開場~
19:30語り手の話~
20:30フリータイム~
「語り手の話」前後には語り手とのフリートークをお楽しみください。
※カフェでの飲食について
18:00~19:00 自由に食事をお楽しみください。
19:30~20:30 ドリンクのみご注文できます。
20:30~ 自由に食事をお楽しみください。
飲食メニューについては後日、改めてお知らせします。
お楽しみに!
参加費 無料(飲食については各自でお支払いください。)
場 所 「cream」
北九州市小倉北区馬借1丁目15-8藤本ビル1F
TEL093-533-3311
http://www.cream-colony.com/
座席などの準備のため、事前におおよその参加人数を把握必要があるため、現段階で参加します。という方は11/13日(金)までにpost@cafepedia.net 担当 梅野 までご連絡ください。
連絡なしでも参加できますので、「急に時間が空いた!」、「今日はちょっと寄り道して帰ろうかな・・・」などなど、お気軽にご参加ください。
今回は、「ヒトの心とは一体なにものか?」という問いをヒトとチンパンジーとの比較を通じて解き明かす研究を行っている京都大学霊長類研究所の友永 雅己さんを語り手にお迎えしての開催です。
「心」と言えば、一休宗純の歌「心とはいかなるものを言ふならん 墨絵に書きし松風の音」を思い浮かべます。いまだに私にとってはなんとなくわかりそうで、わからない歌です。今回のカフェペディアで「心」を知るきっかけが得られることを楽しみにしています。
第二十ニ夜 「チンパンジーからヒトをみる」
語り手 友永 雅己さん
(京都大学霊長類研究所 思考言語分野 准教授 )
http://www.pri.kyoto-u.ac.jp/koudou-shinkei/shikou/staff/tomonaga/indexj.html#top
http://www.jsps.go.jp/jsps-prize/data/ichiran_2nd/2_tomonaga.pdf
http://homepage3.nifty.com/~jmc/priken/yoshi47/tomonaga.html
開催日時 平成21年11月15日(日)
18:00開場~
19:30語り手の話~
20:30フリータイム~
「語り手の話」前後には語り手とのフリートークをお楽しみください。
※カフェでの飲食について
18:00~19:00 自由に食事をお楽しみください。
19:30~20:30 ドリンクのみご注文できます。
20:30~ 自由に食事をお楽しみください。
飲食メニューについては後日、改めてお知らせします。
お楽しみに!
参加費 無料(飲食については各自でお支払いください。)
場 所 「cream」
北九州市小倉北区馬借1丁目15-8藤本ビル1F
TEL093-533-3311
http://www.cream-colony.com/
座席などの準備のため、事前におおよその参加人数を把握必要があるため、現段階で参加します。という方は11/13日(金)までにpost@cafepedia.net 担当 梅野 までご連絡ください。
連絡なしでも参加できますので、「急に時間が空いた!」、「今日はちょっと寄り道して帰ろうかな・・・」などなど、お気軽にご参加ください。
報告書 第二十一夜「アフリカでわしも考えた~動物園長の旅行記~」
10月19日(月)、到津の森公園の岩野俊郎園長を語り手に迎え、科学夜話Cafepedia第二十一夜を開催しました。
今回は福岡地域の様々な施設の学芸員の方々が行っている「知のネットワーク」という取り組みとの協同開催ということで遠方からも多数の参加者がカフェに集まりました。

と、いっても普段と違っているのは語り手の話の前に「知のネットワーク」の取り組みの紹介と「カフェペディア」について言いだしっぺの私が話をするはめになってしまったという点です。話をした本人は軽~く話をしたつもりだったのですが、後でみなさんから「熱く語っていたね」との感想・・・。
さて、いよいよ岩野園長の出番です。
会場前面のスクリーンにはタイトルにふさわしくアフリカの写真が映し出されています。
が、話は岩野園長が「アフリカでわしも考えた」ではなく「ずっと考えてきたこと」ではじまりました。

岩野さんが園長をつとめる到津の森公園は民間運営から市民運営へと生まれ変わった動物園です。
その変化の中でこれからの動物園はどうあるべきなのか?そんな園長の「問い」とそれに対する園長が考え、見出した「答え」の話は聴き手をひきつけていきました。
以下の文章は私の曖昧な記憶と自分自身の解釈で記載しておりますので、実際に語られた内容とズレがある可能があることをご了承ください。
園長→「これまでの動物園はめずらしい動物がいる場所。そんなみんなのイメージがくずれない。」
確かに子どものころ、私にとっての動物園は絵本や図鑑に出てくる動物がいる場所でした。ゾウがいる、ライオンがいる、キリンがいる。本の中に出てくる動物が動いている。それに驚く場所でした。でもそれは本当にゾウやライオンやキリンだったのでしょうか?
話は園長が好きな梅原猛さんの「隠された十字架」の話になります。
園長→「われわれはものごとを一面から見がちであるが、裏側から見ると違う面が見えてくる。それが大事だ。」
なんとなくわかりますが、それと動物園がどう関係するの?とそのときは思っていました。
園長→「動物園で人はキリンやゾウという形しか見ない。ゾウの裏側を見る。どうすればいいのか?
ゾウをひっくり返して何かが見えるようにしたい。みんなの持つ動物園の固定概念を崩したい。」
「ゾウの裏側を見る」、「ゾウをひっくり返す!」どういうことだろう・・・。今、この報告書を書きながら考えてみると「ゾウの裏側を見る」には見る側が視点を変えなければなりません。「ゾウをひっくり返す」にはゾウを見せる側(見せるというのが正しい表現か自信がありませんが)が見せ方に対する考え方を変えること。つまりは見る側、見せる側、両方が変わる必要があるということなのではないでしょうか?
そのためにはまずどうするべきなのか?
園長→「動物園がいかに自然破壊を行ってきたか?ということを知る必要がある。」
チンパンジーを連れてくるのに動物園という環境に適応しやすい子どもをつれてくる必要がある。群れから子どもだけをつれてくるのは無理。群れを殲滅させて子どもを連れてくる。これまでの動物園がやってきたのはそういうことである。」
これはほとんどの人が今まで知らなかった、というより気づかないふりをしていたことだと思います。肉を食べるのにそこに屠殺という作業があるのを気づかないふりをしているようなものだと思います。

園長→「ゾウやチンパンジーを見たい=個体を見たい、そうではなく、形ではない生命があるものを生命があるように見る。」
ここまで話を聞きながら、前回のカフェペディアで岡本さんが語っていただいた量子の世界の話を思い出しました。
「量子の世界とはモノではなくコトである。」
園長の言う「生命があるものを生命があるように見る」ということはどういうことだろう?
”モノ”と”モノ”の間に”コト”があるのではなく”コト”があって初めて”モノ”であることができる。
社会生活を行うチンパンジーが群れから切り離されて育てられた時、うまく繁殖ができないそうです。なぜか?群れと言う社会生活の中で学ぶ繁殖行為を学ぶことが出来ないからです。
つまり社会生活という”コト”があって、チンパンジーという”モノ”になりうるということではないでしょうか?
さらに話は続きます。
園長→「これまでの動物園は「楽しむ」アミューズメントであった、「楽しむ」ために「知る」に立ち戻り「楽しむ」必要がある。」
これは、論語にある「之を知るものは之を好むものに如かず、之を好むものは之を楽しむものに如かず」ということを反対方向にたどれば本当に「楽しむ」ためには「知る」という過程が必要であると言えるのではないでしょうか?
園長→「動物園のzooの語源はzoologyであるが現在の動物園にはロジックなところがない。」
園長を疑ったわけではありませんが、ちょっと調べてみました。
zooは zoological garden を略した言い方でzoologyの語源は、ギリシャ語でΖωο("animal") +λογος ("logos")だそうです。では"logos"とは・・・言葉、論理、真理の意味です。
「動物の論理」とは・・・学問的に動物を知るだけが動物を知ることではないような気がします。むしろ「動物の真理」としてのzoologyつまり、園長の言う「生命があるものを生命があるように見る」ことだと思います。これはどういうことか・・・?
語りの時間終了後のフリータイムで園長と、「チンパンジーは人と同じように道具を使うことができる」とか、どうしても人と比較して動物を見ようとする。それぞれの動物はそれぞれが自然界で生きていくためにその能力を持つ、そのことに目が行かないというような話をしました。
ぼんやりとしかイメージできませんが、生命があるように見るというのはそういうことなのかなーと思います。
園長→「二本足で立つレッサーパンダは立つのが当たり前、頭を抱えるクマはノイローゼである。それを売り物にするのはものだけを売っているだけである。動物園は行き詰っている。
チンパンジーのパン君がいかに哀れであるかを知らないと前には進めない。
パン君は社会生活を行うチンパンジーとしては繁殖できない。
チンパンジーの形をした化け物である。
チンパンジーの生活ができないのにそれをチンパンジーだと思う。
これは”もの”を見ているに過ぎない。僕らが見ているものの裏側を見る必要がある。」
ここまで、スクリーンの映像は最初と全く変わらず園長の話にみなさん引き込まれていました。
と、ここで「アフリカの話も・・・」
ということで岩野園長が岩野園長の視点で撮影した様々なアフリカの写真を見ながら、「アフリカで考えた」ことを話していただきました。

最後に岩野園長が描く、「日本人のための動物園、日本人の感性をふるわす動物園」。私が思い浮かべたのは水墨画や花札に描かれる動物の姿だったのですが、正しいイメージだったのでしょうか・・・?

いつものように講演後にはフリータイムということで岩野園長と話込んだのですが・・・。私が園長を独占してしまい申し訳ありませんでした。
今回は福岡地域の様々な施設の学芸員の方々が行っている「知のネットワーク」という取り組みとの協同開催ということで遠方からも多数の参加者がカフェに集まりました。

と、いっても普段と違っているのは語り手の話の前に「知のネットワーク」の取り組みの紹介と「カフェペディア」について言いだしっぺの私が話をするはめになってしまったという点です。話をした本人は軽~く話をしたつもりだったのですが、後でみなさんから「熱く語っていたね」との感想・・・。
さて、いよいよ岩野園長の出番です。
会場前面のスクリーンにはタイトルにふさわしくアフリカの写真が映し出されています。
が、話は岩野園長が「アフリカでわしも考えた」ではなく「ずっと考えてきたこと」ではじまりました。

岩野さんが園長をつとめる到津の森公園は民間運営から市民運営へと生まれ変わった動物園です。
その変化の中でこれからの動物園はどうあるべきなのか?そんな園長の「問い」とそれに対する園長が考え、見出した「答え」の話は聴き手をひきつけていきました。
以下の文章は私の曖昧な記憶と自分自身の解釈で記載しておりますので、実際に語られた内容とズレがある可能があることをご了承ください。
園長→「これまでの動物園はめずらしい動物がいる場所。そんなみんなのイメージがくずれない。」
確かに子どものころ、私にとっての動物園は絵本や図鑑に出てくる動物がいる場所でした。ゾウがいる、ライオンがいる、キリンがいる。本の中に出てくる動物が動いている。それに驚く場所でした。でもそれは本当にゾウやライオンやキリンだったのでしょうか?
話は園長が好きな梅原猛さんの「隠された十字架」の話になります。
園長→「われわれはものごとを一面から見がちであるが、裏側から見ると違う面が見えてくる。それが大事だ。」
なんとなくわかりますが、それと動物園がどう関係するの?とそのときは思っていました。
園長→「動物園で人はキリンやゾウという形しか見ない。ゾウの裏側を見る。どうすればいいのか?
ゾウをひっくり返して何かが見えるようにしたい。みんなの持つ動物園の固定概念を崩したい。」
「ゾウの裏側を見る」、「ゾウをひっくり返す!」どういうことだろう・・・。今、この報告書を書きながら考えてみると「ゾウの裏側を見る」には見る側が視点を変えなければなりません。「ゾウをひっくり返す」にはゾウを見せる側(見せるというのが正しい表現か自信がありませんが)が見せ方に対する考え方を変えること。つまりは見る側、見せる側、両方が変わる必要があるということなのではないでしょうか?
そのためにはまずどうするべきなのか?
園長→「動物園がいかに自然破壊を行ってきたか?ということを知る必要がある。」
チンパンジーを連れてくるのに動物園という環境に適応しやすい子どもをつれてくる必要がある。群れから子どもだけをつれてくるのは無理。群れを殲滅させて子どもを連れてくる。これまでの動物園がやってきたのはそういうことである。」
これはほとんどの人が今まで知らなかった、というより気づかないふりをしていたことだと思います。肉を食べるのにそこに屠殺という作業があるのを気づかないふりをしているようなものだと思います。

園長→「ゾウやチンパンジーを見たい=個体を見たい、そうではなく、形ではない生命があるものを生命があるように見る。」
ここまで話を聞きながら、前回のカフェペディアで岡本さんが語っていただいた量子の世界の話を思い出しました。
「量子の世界とはモノではなくコトである。」
園長の言う「生命があるものを生命があるように見る」ということはどういうことだろう?
”モノ”と”モノ”の間に”コト”があるのではなく”コト”があって初めて”モノ”であることができる。
社会生活を行うチンパンジーが群れから切り離されて育てられた時、うまく繁殖ができないそうです。なぜか?群れと言う社会生活の中で学ぶ繁殖行為を学ぶことが出来ないからです。
つまり社会生活という”コト”があって、チンパンジーという”モノ”になりうるということではないでしょうか?
さらに話は続きます。
園長→「これまでの動物園は「楽しむ」アミューズメントであった、「楽しむ」ために「知る」に立ち戻り「楽しむ」必要がある。」
これは、論語にある「之を知るものは之を好むものに如かず、之を好むものは之を楽しむものに如かず」ということを反対方向にたどれば本当に「楽しむ」ためには「知る」という過程が必要であると言えるのではないでしょうか?
園長→「動物園のzooの語源はzoologyであるが現在の動物園にはロジックなところがない。」
園長を疑ったわけではありませんが、ちょっと調べてみました。
zooは zoological garden を略した言い方でzoologyの語源は、ギリシャ語でΖωο("animal") +λογος ("logos")だそうです。では"logos"とは・・・言葉、論理、真理の意味です。
「動物の論理」とは・・・学問的に動物を知るだけが動物を知ることではないような気がします。むしろ「動物の真理」としてのzoologyつまり、園長の言う「生命があるものを生命があるように見る」ことだと思います。これはどういうことか・・・?
語りの時間終了後のフリータイムで園長と、「チンパンジーは人と同じように道具を使うことができる」とか、どうしても人と比較して動物を見ようとする。それぞれの動物はそれぞれが自然界で生きていくためにその能力を持つ、そのことに目が行かないというような話をしました。
ぼんやりとしかイメージできませんが、生命があるように見るというのはそういうことなのかなーと思います。
園長→「二本足で立つレッサーパンダは立つのが当たり前、頭を抱えるクマはノイローゼである。それを売り物にするのはものだけを売っているだけである。動物園は行き詰っている。
チンパンジーのパン君がいかに哀れであるかを知らないと前には進めない。
パン君は社会生活を行うチンパンジーとしては繁殖できない。
チンパンジーの形をした化け物である。
チンパンジーの生活ができないのにそれをチンパンジーだと思う。
これは”もの”を見ているに過ぎない。僕らが見ているものの裏側を見る必要がある。」
ここまで、スクリーンの映像は最初と全く変わらず園長の話にみなさん引き込まれていました。
と、ここで「アフリカの話も・・・」
ということで岩野園長が岩野園長の視点で撮影した様々なアフリカの写真を見ながら、「アフリカで考えた」ことを話していただきました。

最後に岩野園長が描く、「日本人のための動物園、日本人の感性をふるわす動物園」。私が思い浮かべたのは水墨画や花札に描かれる動物の姿だったのですが、正しいイメージだったのでしょうか・・・?

いつものように講演後にはフリータイムということで岩野園長と話込んだのですが・・・。私が園長を独占してしまい申し訳ありませんでした。
2009年10月16日金曜日
第二十一夜のカフェペディアメニューです。
18:00開場~19:00開演までの間のカフェペディアメニューの発表です!
●ディナーセット \1250(1drink、プチサラダ付) 3種類よりお選びください。
・キーマカレー
・ソーセージとじゃがいものグラタン(バケット付き)
・海老とホウレン草のトマトソースパスタ
●前菜3種プレート \1100(1drink付)
※プレートのみのご注文は\750
・蒸し鶏とセロリのサラダ、ロースハムのムース、エビの春巻
●デザートセット \750(1drink付)
・キャラメルチーズケーキ
・栗と抹茶のガトーショコラ
・紅茶のシフォンケーキ
これ以外のお客様はドリンクのみのオーダーとなります。また、19:00~21:00の時間帯はドリンクのみのオーダー、講演終了後は通常メニューとなります。
●ディナーセット \1250(1drink、プチサラダ付) 3種類よりお選びください。
・キーマカレー
・ソーセージとじゃがいものグラタン(バケット付き)
・海老とホウレン草のトマトソースパスタ
●前菜3種プレート \1100(1drink付)
※プレートのみのご注文は\750
・蒸し鶏とセロリのサラダ、ロースハムのムース、エビの春巻
●デザートセット \750(1drink付)
・キャラメルチーズケーキ
・栗と抹茶のガトーショコラ
・紅茶のシフォンケーキ
これ以外のお客様はドリンクのみのオーダーとなります。また、19:00~21:00の時間帯はドリンクのみのオーダー、講演終了後は通常メニューとなります。
2009年10月14日水曜日
お知らせ! 第二十一夜「アフリカでわしも考えた~動物園長の旅行記~」
秋も深まった第二十一夜のカフェペディアは到津の森公園の園長、岩野俊郎さんを語り手に迎え、動物園長が”アフリカ”という空間を通じて考えたあれやこれやを伺います。

先日、管理人が打ち合わせのため到津の森公園の岩野園長のもとにうかがったのですが、話が盛り上がってしまい、あっという間に2時間経っていました・・・。
話し出したら止まらない熱中人、岩野園長を楽しみましょう。(語りの時間内に収まらないかもしれませんが・・・)
今回はちょっと趣を変えて「知のネットワーク」(http://www.f-museum.net/)構築という取り組みとの協同開催で行います。タイムスケジュールが普段と少し違いますので、ご確認ください。
成り行き上、なぜか管理人も「科学夜話Cafepedia」についての話をすることになってしまいました。いつもは語り手の話を楽しむだけの気楽な立場だったのに・・・。これからネタを考えます。
第二十一夜 「アフリカでわしも考えた~動物園長の旅行記~」
語り手 岩野 俊郎さん
(到津の森公園 園長 )
http://www.kpfmmf.jp/zoo/
ウィキペディア
開催日時 平成21年10月19日(月)
18:00開場~
19:30「知のネットワーク」&「科学夜話Cafepediaのひみつ」の話~
20:00語り手の話~
21:00フリータイム~
「語り手の話」前後には語り手とのフリートークをお楽しみください。
※カフェでの飲食について
18:00~19:00 自由に食事をお楽しみください。
19:30~21:00 ドリンクのみご注文できます。
21:00~ 自由に食事をお楽しみください。
飲食メニューについては後日、改めてお知らせします。
お楽しみに!
参加費 無料(飲食については各自でお支払いください。)
場 所 「cream」
北九州市小倉北区馬借1丁目15-8藤本ビル1F
TEL093-533-3311
http://www.cream-colony.com/
座席などの準備のため、事前におおよその参加人数を把握必要があるため、現段階で参加します。という方は10/18日(日)までにpost@cafepedia.net 担当 梅野 までご連絡ください。
連絡なしでも参加できますので、「急に時間が空いた!」、「今日はちょっと寄り道して帰ろうかな・・・」などなど、お気軽にご参加ください。
登録:
投稿 (Atom)